JICE 一般財団法人国土技術研究センター

JICEが誇る代表的プロジェクト

 

D ダムの合理化施工・RCD工法 〜超固練りの解決法〜

ポイント コンクリートでできた「ダム」はどのようにつくられるのでしょう。まちなかのビルの建設現場でみかけるような「型枠」にドロドロしたセメントを流し込む、というイメージでしょうか。
 コンクリートダムもかつてはそのような工法で建設されることが一般的でした。
 しかしこの工法では、巨大なダムをつくるには型枠を大量に設置・撤去する必要があり多大な労力がかかります。そこで、施工の合理化を目指し、1981年に日本が世界で初めて確立した技術がRCD工法です。
 RCD工法は、ドロドロではなく「超固練り」のコンクリートを用います。超固練りのためブルドーザーで敷きならすことができ、従来に比べて連続・大量施工が可能となりました。
 また、従来のダム工法は安全上問題があり、ダム工事では工事費1億円につき、1人の死亡事故があったとされていますが、RCD工法以後はダム本体工事における死亡者は殆ど0になりました。
 JICEは1974年(昭和49年)より、ダム合理化施工の研究委員会を設置運営し、今日のRCD工法の確立に貢献しました。

これまでの常識と新たな気づき

 従来のダムはコンクリートダムが主流でした。
 しかし、コンクリートダムの建設に適した地形地質が、時代の流れとともに少なくなってきていることから、フィルダムの施工が増加する傾向にありました。
 フィルダムは施工性が良く経済的である一方、コンクリートダムと比較して越流に弱いことや、堤体内に洪水吐を設置できないこと等、洪水に対する安全の確保が難しいという欠点があります。
 そこで、コンクリートダムの長所を活かしながら、フィルダムの短所を補う施工法の確立が期待されました。工期の短縮が可能で経済性が高く、幅広い地形地質上の変化にも対応し得るRCD工法は、問題点を解決する画期的な工法である言えます。

コア技術

 従来のコンクリートダムの施工方法は、型枠で形成したコンクリートを区画ごとに打設するブロック工法で建設されていました。施工途中に各ブロックが柱状に立ち上がり、その間で段差ができるので、柱状工法、柱状ブロック工法などといわれることもあるようです。
 この工法はブロック間に5m〜10mの段差が生じるため、安全上問題があることやクレーンで打設するしか方法がないことなどの制約があります。
 RCD工法は、RCD用コンクリートを、ブルドーザーにより3層程度で所定のリフト高に薄く敷き均し、振動目地切機で規定の位置に横目地を設置した後、その上から振動ローラーにより締め固めを行う工法です。
 RCD工法は、汎用機械を用いた機械化施工により、連続・大量施工、急速施工が可能な工法であり、従来工法に比べ、建設工期の短縮と省力化、経済的なダム建設が可能となります。また、全面レア打設方式を前提としており、打止め型枠を設けて施工する場合でも、1リフトのリフト差が生じないという特徴があります。
 そのため、上下流、ダム軸方向とも死角がなくなり、作業員や重機械の移動、建設資材の運搬をより安全に行うことができます。かつてダム工事では工事費1億円につき、1人の死亡事故があったとされていますが、RCD工法以後はダム本体工事における死亡者は殆ど0になりました。また、継ぎ目の省力化により、型枠移動の高所作業が大幅に減少される等、作業の安全性の面で優れています。
 さらにRCD用コンクリートは、単位水量、単位セメント量を少なくした超硬練りコンクリートであることから、水和熱の低減効果があり、品質向上に優れています。

図-1 RCD工法による施工
 セメント量を減らし、水和熱※1の発生を抑えた超固練り(スランプ※2=0cm)貧配合のコンクリート

※1 コンクリートのセメントと水が化学反応により硬化する際に発する反応熱のこと、
   水和熱による温度上昇を抑え、ひび割れの発生を防いでいる
※2 コンクリートの柔らかさを示す言葉で、数値が大きいほど柔らかくなる。


図-2 従来の工法(深城ダム)

図-3 RCD工法(岡山県津川ダム)

JICEの関わり

 RCD工法は、1974年にJICEに設置された「コンクリートダム合理化施工に関する研究委員会」による10年間の調査・研究成果です。この委員会の成果を受けて、RCD工法は、1975年に世界で初めて島地川ダムのダム本体のコンクリート打設に採用され、1987年の玉川ダムのコンクリート打設完了により、技術的に確立した工法となりました。
 JICEが「RCD工法技術指針(1981年)」や「RCD工法によるダム施工(1981年)」を発刊したことにより、国交省や都道府県のダム施工における標準手法として普及・定着を図りました。

参考:
https://www.pref.okayama.jp/page/480465.html
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/Jiten.cgi?hp=07
https://www.maeda.co.jp/works/report/genba/07/pop_02.html

 

E 堤防の耐震基準確立 〜原因は地面にあらず〜 

ポイント 川の堤防は土を固めてつくられています。大きな地震が起こるとこの堤防は、崩れたり、沈下したりすることがあり、阪神・淡路大震災では淀川の堤防が広範囲で沈下しました。地震による堤防の沈下は、堤防そのものではなく、土台である基礎地盤の液状化によるものとして阪神・淡路大震災以降全国で堤防の強化(基礎地盤の液状化対策)が行われてきました。
 しかし、東日本大震災における被災メカニズムをJICEが事務局を務める堤防復旧委員会で調査・検討した結果、従来想定していなかった堤防自体の液状化によるものと判明しました。
この知見を堤防の新たな耐震基準として全国的なマニュアルに反映することで、地震に対してより強い堤防の整備につなげました。

これまでの常識と新たな気づき

 1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災では、淀川等で堤防が崩れる被害が多数発生しました。この原因は、地震の揺れによって基礎地盤が液状化し堤防が沈下したことにあり、震災後、全国で堤防の耐震対策として堤防の下の基礎地盤の地盤改良が進められました。
 しかし、2011年(平成23年)の東日本大震災では、液状化は発生しないと考えられていた粘性土の基礎地盤上の堤防でも大きな崩壊が生じました(写真1)。従来考えられていたメカニズムだけでは、このような被災原因を説明することができませんでしたが、被災事例を詳細に調査することで、従来想定していなかった堤防自体が液状化する現象が発生していたことが判明しました。


図-1 基礎地盤の液状化

写真-1:鳴瀬川の堤防被災(下中ノ目上流地区)

コア技術

液状化は、主に同じ成分や同じ大きさの砂からなる土が、地下水で満たされている場合に発生します。
 地震が起きて地盤が強い衝撃を受けると、今まで互いに接して支えあっていた土の粒子がバラバラになり、地盤全体がドロドロの液体のような状態になる現象のことをいいます。
 したがって液状化は地盤の地下水位よりも下で生じると考えられてきました。
 しかし、東北地方太平洋沖地震における被災箇所のボーリング調査や土質試験、堤防開削調査を行うことにより、これが地盤より上の堤防で生じたことであると判明しました。
 その理由として、以下のようなメカニズムがあげられます。
●軟弱な地盤上に築堤された堤防が沈下することで、堤防本体の下部が地下水位より下にめり込む(@)、
●堤体材料が砂質土の場合には、そこに降雨等の浸透水が滞まり(A)、堤体内に飽和した領域を形成する。
●さらに、地震によってその部分が液状化することで、のり尻が水平方向に大きく変位(側方流動)し、はらみだしを伴う大崩壊に至る(B)。
 これらの対策としては、堤防の中の水位を下げる方法を考える必要があります。


@堤体本体の下部がめり込む

A堤体内に飽和した領域を形成する

Bその部分が液状化する
図-2 東北地方太平洋沖地震による堤防被災メカニズム

JICEの関わり

 JICEでは、東北地方整備局管内堤防の地震災害復旧委員会(「北上川等堤防復旧技術検討会」(2011.4~11))や、関東地方整備局管内堤防の地震災害復旧委員会(「関東地方河川堤防復旧技術等検討委員会」(2011.4~9))の運営を通じて、堤防の被災メカニズムを明らかにしました。
 さらに国土交通省の「河川堤防耐震対策緊急検討委員会(2011.5~.9)」において、
  ⚫堤体下部の土質特性や、基礎地盤へのめり込み量と堤体内水位の関係性を調査
  ⚫液状化判定法の改良等
  ⚫堤体の液状化による被害が生じる可能性のある条件を明確化
  ⚫地震による堤防沈下量の解析法の改良
等を実行し、全国的な指針・マニュアル(2012.2)に反映しました。
 また、堤体の液状化への対応として、堤体内の水位を一定程度下げることが期待され、沈下変形抑制効果も図ることができる、堤防の裏法尻ドレーン工を採用することとし、全国での耐震照査及び対策に活かしました。

 

F 高規格幹線道路網の計画策定 〜構想のバックボーンを担う〜

ポイント 第四次全国総合開発計画(四全総、1988年策定)では、多極分散型国土の形成を目標とし、その達成のために交流ネットワーク構想を推進することが示されました。四全総の検討段階では、幹線道路網はどうあるべきかという議論が行われています。JICEは、都市間連絡時間やインターチェンジアクセス圏域などの指標を提案し、諸外国の道路ネットワークと比較を行うなど、幹線道路ネットワーク構想の理論構築を行いました。その結果、全国の都市・農村地区からおおむね1時間以内で高速道路にアクセスできるという目標の設定や、その目標を満たすための14,000kmの高規格幹線道路網の計画の策定に貢献しました。
 道路に関するニーズや課題の分析、幹線道路網の役割や整備効果の検討、道路構造基準など、幹線道路ネットワークの必要性や効果・道路構造に関して、JICEには長年の経験と情報の蓄積があります。
 これらの経験と蓄積を活かし、JICEは引き続き将来の道路構想の理論構築を支えて参ります。

戦後から一貫して大きな課題であった道路の脆弱さ

 高度経済成長を経てモータリゼーションが急激に進展した日本では、道路の脆弱さは戦後より長い間一貫した大きな課題でした。
 1957年に国土開発縦貫自動車道建設法が成立し、北海道・東北・中央(名神高速含む)・中国・四国・九州の6路線・約3,000kmの建設が決定され、その後、さらに1965年までに6路線(東名・北陸・関越・東海北陸・九州横断・中国横断 約5,050km)の追加計画が決定されました。
 これらの個別計画を含めた国土全体を一体的な高速道路網の計画である国土開発幹線自動車道建設法が1966年に制定され、ここで予定路線7,600kmの路線決定となり、我が国における高速道路網の整備が法律上体系的に確立されました。

高規格幹線道路網の計画策定

 1960年代から1980年代にかけて、日本の経済は成長し、1968年には名目GDPで西ドイツ(当時)を抜き、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国となりました。しかし、過疎地域での人口減少や道県単位での人口減少など、地域振興の上で大きな課題が顕在化していました。
 7,600kmの国土開発幹線自動車網計画では、『人口おおむね10万人以上の地方中心都市を効率的に連絡し、地域相互の交流の円滑化に資する』、『全国の都市、農村地区からおおむね2時間以内で到達しうる』とされていましたが、地方部では都市相互は大きく迂回して連絡され、道路距離が同じ都市間でも連絡時間に大きな差異が生じていました。高速道路に到達できる時間についても、都道府県によって著しい格差が生じていました。
 また、国土開発幹線自動車道建設法が制定された1966年と比較し、1980年における日本の経済活動・労働生産性は2倍以上に進展して、時間価値も大幅に上昇したこともあり、『2時間以内で到達しうる』という目標の改善が求められました。
 このような課題の解決に向けて、拠点都市間の連絡強化、高速サービスの全国普及(1時間以内でのアクセス)、交通施設との連携強化等の路線の要件を定め、1987年に14,000kmの高規格幹線道路網の計画が策定されました。
 その結果、高規格幹線道路網計画は、多極分散型国土の形成と、その実現のために交流ネットワークを作るという四全総の構想の主要施策となりました。


図-1 高規格幹線道路ネットワーク(7,600kmと14,000kmの比較)
(出典:「高規格幹線道路の整備」パンフレット、建設省道路局、1991年)

JICEの関わり

 JICEは、国内の経済社会情勢や有識者の考え等を収集し、道路に求められるニーズや道路事業の問題点について分析・検討するとともに、海外の道路計画や道路構造に関する動向、新規施策を継続的に調査し、日本に導入すべき点の検討を継続して担ってきました。
 また、道路整備が地域の社会・経済に与える影響や、道路整備効果を数値化・計量化する手法の検討など、道路整備の必要性を示すことに貢献しています。
 建設省(当時)が高規格幹線道路網の検討を行った際には、路網計画案の作成、整備効果指標等の算出、海外との比較等を行いました。
 また、高速道路に適した道路構造の検討や、自動車の性能向上の把握及び性能向上にあわせた道路構造の改正に関する検討を行いました。
 道路に関するニーズや課題の分析、幹線道路網の役割や整備効果の検討、道路構造基準など、幹線道路ネットワークの必要性や効果・道路構造について、JICEには長年の経験と情報の蓄積があります。