JICE 一般財団法人国土技術研究センター

JICEの沿革

 

@ 草創期(1973-1988年:15年間) 〜 激動の時代の船出 〜

ポイント 官学民の期待を集めて設立された「国土開発技術研究センター(JICE)」でしたが、そのスタートは、波乱に満ちたものとなりました。
 1973年6月の発足直後の10月に第4次中東戦争が勃発します。これによって起こったオイルショックにより19年間続いた日本の高度経済成長も終わりを告げ、特別な補助金や制度上の優越性のない発足直後のJICEはいきなり経営困難に直面します。
 そんな中で設立時の関係者は、「トンネル会社的なものは必要ない」、「建設行政の施策決定上のブレーン役になる」などの理想を話し合いながら、道路や河川といった部門にとらわれない総合的なインフラ技術と政策を、官学民の知恵を結集して調査研究するビジネスモデルを確立していきました。

波乱に満ちたスタート

 財団法人国土開発技術研究センター(JICE)」は、建設省のシンクタンクとして、1973年(昭和48年)6月30日に設立されました。発足時には総務部、調査部、研究部の3部体制で、職員数は33名。虎ノ門1丁目の第19森ビル10階に約300m2の事務所を構え、小さいながらも意気揚々としたスタートでした。
 ところが、時代の要請と官学民の期待を受けて発足したJICEでしたが、そのスタートは意に反して波乱に満ちたものとなりました。

オイルショックと発足の厳しさ

 発足から約3か月後の1973年10月6日、第4次中東戦争が勃発し、OPECの原油供給制限により国際原油価格は3か月で約4倍に高騰します。急激なインフレは経済活動を圧迫して、1974年の日本経済は戦後初めてマイナス成長となりました。JICEが発足した直後に高度経済成長は終わったのです。JICEには建設技術と国土政策に関わるシンクタンクになるという大きな目標がありましたが、既に、官庁にも研究機関(土研、建研)があり、民間にも建設コンサルタントがありました。
 また、JICEには特別な補助金もなく、発足したばかりで足がかりとなる研究成果もありません。ゼロから研究を受託して成果を上げなければ経営できない環境にもかかわらず、マイナス成長に直面したことは大きな誤算でした。
 また、いざスタートしてみると33名では業務が回らず、さらに想定した人件費や経費の見積もりが甘いことも判明しました。初年度の契約額はわずか5億7千万円。その後職員を約50名に増やし、1976年(昭和51年)に第15森ビルに移転しますが、「その時にもそんな広いところに引っ越して大丈夫かという議論が部内にもあった」(初代理事長 渡辺隆二)ほどであり、「設立当初よりかなり長い期間にわたり、その経営について非常な不安と困難が存在していた」(第2代理事長 小坂忠)という有様でした。

設立の志と離陸

 「しかしながら、そんな中で設立時の関係者は、「トンネル会社的なものは必要ない」、「同じことをやるのでは存在意義がない」、「建設行政の施策決定上のブレーン役になる」などの理想を話し合いながら、道路や河川といった部門にとらわれない総合的なインフラ技術と政策を、官学民の知恵を結集して調査研究するビジネスモデルを確立していきました。
 この時代の特筆すべき成果は、ダムの建設方法を一変させたRCD工法の技術開発や、四全総の根幹となる14,000kmの高規格幹線路網計画のネットワーク論の構築などが挙げられます。また、オイルショックは省エネルギーや環境評価といった新しいニーズを生み出し、JICEはこの分野を開拓していきました。
 これらの成果を通じて、JICEはその存在意義を明確にし、1985年には国土開発と自然環境との調和をデザインしたJICEのシンボルマークを決定します。経営的にやっと余裕が出てきた1986年からは自主研究を開始、1987年には内部に業務改善委員会を設置してOA化などの生産性向上を進めるとともに、外部に対して第1回技術研究発表会を開催できるようになりました。活動領域や組織体制、経営基盤が安定してきたのは、設立から15年がたった1988年(昭和63年)頃でした。

関連年表

年(和暦) JICEの動き
1973年(昭和48年)
設立(第19森ビル、3部体制、職員33名、渡辺隆二理事長)
第4次中東戦争、第1次石油ショック
1974年(昭和49年) 日本経済マイナス成長(高度経済成長期の終わり)
1976年(昭和51年) 第15森ビルに移転
1977年(昭和55年) 最初のプロパー職員を採用
1980年(昭和55年) 調査部を調査第1部、調査第2部に拡充
1983年(昭和58年) 研究部を研究第1部、研究第2部に拡充
1984年(昭和59年) 第2代理事長 小坂忠 就任
1985年(昭和60年) シンボルマーク決定
1986年(昭和61年) 自主研究を開始
調査第3部を設置
1987年(昭和62年)
業務改善委員会を設置、OA化に着手
第1回技術研究発表会を開催
高規格幹線道路網計画(14,000km)
第4次全国総合開発計画(中曽根内閣)
1988年(昭和63年) 創立15周年(6部体制、職員74名)

発足のお知らせ 創立10周年記念祝賀会 渡辺隆二 理事長挨拶

 

A 拡大期(1988-2003年:15年間) 〜 業務の拡大と活動領域の変化 〜

ポイント 平成前期の日本経済の順調な伸びにも支えられ、インフラ分野の技術開発や政策支援に成果を上げるJICEの評価も高まりました。建設省以外の発注者からの受託研究も増え、民間からの出向希望も多くなり、JICEは拡大期に入ります。
 創立30周年を迎える2003年頃にはインフラ分野のシンクタンクとして幅広い活動を行えるようになりました。活動領域も技術開発から政策支援に比重が移り、2000年には名称から「開発」を削除し、寄附行為(定款)も変更しました。

業務の発展

 発足から約15年で活動領域や組織体制、経営基盤を安定させた「財団法人国土開発技術研究センター(JICE)」は、日本経済の順調な伸びにも支えられ、業務の拡大期に入ります。
 後にバブル経済とも言われますが、世界に占める日本のGDPシェアが1995年には17.6%にまで高まり、日本経済は絶頂期を迎えます。こうした日本の成長を支えた重要な柱の一つが道路や河川、都市などのインフラ整備であり、インフラ分野の技術開発や政策支援に成果を上げるJICEの評価は高まりました。この結果、建設省以外の発注者からの受託研究も増え、受託契約額は、創立15周年(1988年)の約37億円から、創立20周年(1993年)には80億円を超える規模に拡大し、以後、創立30周年(2003年)頃まで安定的に推移していきます。
 民間企業からの出向希望者も多くなり、創立15周年(1988年)の16名から、創立30周年(2003年)には27名まで増加します。海外との交流も盛んになり、1989年には日韓(JICE/KICT)技術交流合意書を締結、翌1990年には第1回日・韓建設技術セミナーが開催され、現在に至るまで続いています。
 また、1992年には業務システム(JICEOA)をスタートさせて業務の生産性を高め、1993年にはJICE内に横割りの組織となる情報調査室(現在の情報・企画部)を設置、さらに、1998年からはISO品質システムを導入するなどの体制整備も行っています。
 こうして時代の要請にあわせて調査研究を続ける中で、JICEの活動領域にも変化が生じてきました。当初は建設技術の研究開発に比重があり、それは「国土技術開発賞」や「建設技術審査証明事業」などに引き継がれています。

活動領域の変化

 一方、省エネルギー政策の研究や環境影響評価、ITSなど、徐々に政策分野の調査研究の比重が増してきました。こうした変化を受けて、JICEは2000年(平成12年)に名称、寄付行為などの基本的な変更を行います。まずは、名称の「国土開発技術研究センター」から「開発」の文字を削除し、定款上も「研究開発」を削除して、インフラ政策の「調査研究」に軸足を置くことを明確にしました。
 2002年には「JICEREPORT」を創刊するとともに、現在のニッセイ虎ノ門ビルに移転しました。
 創立30周年を迎える2003年頃には、インフラ分野のシンクタンクとして悲願であった自主研究などの公益事業や国内外への研究成果の公表など幅広い活動を展開できるようになりました。

関連年表

年(和暦) JICEの動き
1988年(昭和63年) 創立15周年(6部体制、職員74名、受託契約額37億)
1989年(平成元年) 日韓(JICE/KICT)技術交流合意書締結
1990年(平成2年) 第1回日・韓建設技術セミナー開催
1992年(平成4年) 業務システム(JICEOA)スタート
1993年(平成5年)
創立20周年(職員103名、受託契約額82億)
情報調査室(現在の情報・企画部)設置
1994年(平成6年) 第3代理事長 廣瀬利雄 就任
1998年(平成10年)
ISO品質システム導入・運用開始
第4代理事長 豊田高司 就任
1999年(平成11年) 第1回建設技術開発賞表彰式(現在の国土技術開発賞)
2000年(平成12年)
JICEの名称、寄附行為の変更
研究開発助成制度の創設
2001年(平成13年) 第5代理事長 井上啓一 就任
政府組織再編、1府12省庁の新体制へ
小泉内閣発足、特殊法人等整理合理化計画閣議決定
2002年(平成14年)
JICEREPORTの創刊
現在のニッセイ虎ノ門ビルに移転
公益法人制度の抜本的改革に向けた取組みについて閣議決定
2003年(平成15年)
創立30周年(職員103名、受託契約額83億)
公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針閣議決定

 

B 是正期(2003-2013年:10年間) 〜 公益法人改革と構造変化の時代 〜

ポイント 経営拡大の時代は長くは続きません。2002年から始まった公益法人改革のなかで、JICEも厳しい批判を浴びることになります。
 創立40周年頃までの10年間は、それまでのビジネスモデルが否定される中で、システムを是正していく期間でした。それまで多くを随意契約で受注していたものがほとんどゼロになり、受注高も激減、赤字に転落し、役職員の給与カットも常態になりました。

公益法人改革

 1988年から2003年までの15年間、経営は順調に拡大してきましたが、そんな時代は長くは続きません。2001年以降、世の中は構造改革の時代に入ります。2001年からの特殊法人等の整理合理化に続き、2002年3月には「公益法人制度の抜本的改革に向けた取組みについて」が閣議決定され、公益法人制度について抜本的かつ体系的な見直しが行われることとなります。
 翌2003年6月には「公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針」が閣議決定され、この方針に基づき、2006年6月に「公益法人制度改革関連3法」が公布され、新公益法人制度が2008年12月から施行されることとなりました。この結果、公益法人は、施行日から5年間の移行期間内(2009−2013年)に必要な手続きを行い、新制度に移行することとされました。

構造改革

 JICEにとっては、2つの点で大きな構造改革を迫るものとなりました。一つは、随意契約から競争入札への移行です。2006年6月に政府が「公益法人等との随意契約の適正化について」を公表し、政府の契約は競争入札を原則とすることとしました。国土交通省としても、所管公益法人等との契約は、2007年度から全て一般競争入札等に移行することとしました。
 この結果、JICEの契約額のうち随意契約の占める割合は、2006年から2007年にかけて激減し、以降現在に至るまで、随意契約はほとんどゼロとなりました。JICEの契約額そのものも減少し、2008年以降赤字に転落し、正味財産額を減少させていくことになりました。
 これに対処するため、2010年から2016年までの7年間、役職員全員の給与カットを実施することとなりました。
 もう一つは、2009年9月に設置された行政刷新会議によって始められた「事業仕分け」でした。政府系公益法人約6,600のうち、290法人をヒアリング対象とし、このうち50法人を仕分け対象となる可能性が高いとしましたが、JICEはこの中に含まれ、職員構成や受注の仕方などについて厳しい批判をうけました。
 こうした改革を受けて、JICEは組織体制やビジネスモデルの抜本的な変革を迫られました。まずは 2007年以降、競争力強化が必要でした。2009年にはISO品質方針に「政策提言集団として再出発し、優れた調査研究成果を提供することで国土交通行政を補完する」と明記しました。また、同じく2009年には、調査研究部門を5部制から4政策グループに再編しました。
 ただし、これらの成果が表れてくるのは2013年以降のことになります。

関連年表

年(和暦) JICEの動き
2003年(平成15年)
創立30周年(職員103名、受託契約額83億)
公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針閣議決定
2004年(平成16年)
第6代理事長 大石久和 就任
公益法人制度改革の基本的枠組み閣議決定
2006年(平成18年)
情報調査室を情報・企画部に改編
公益法人制度改革関連3法公布
政府「公益法人等との随意契約の適正化について」公表
2007年(平成19年) 国交省「公益法人等との随意契約の適正化について」公表
2008年(平成20年)
公益法人制度改革関連3法施行
ISO品質方針に「政策提言集団」が初登場
2009年(平成21年) 民主党政権発足、政府に行政刷新会議設置(事業仕分け)
2010年(平成22年)
政府系公益法人を対象とした「事業仕分け」実施
2011年(平成23年) 東日本大震災(3月11日)
2012年(平成24年)
自民党第2次安倍内閣発足
内閣総理大臣に一般財団法人への移行認可申請
2013年(平成25年)
一般財団法人へ移行
第7代理事長 谷口博昭 就任
創立40周年(2部4政策グループ制、職員82名、受託契約額13億)

 

C 新生期(2013-2023年:10年間) 〜 一般財団法人としての再出発 〜

ポイント 転機になったのはちょうど創立40周年となる2013年(平成25年)。この年、JICEは一般財団法人に移行して新たなスタートを切ることになりました。
 2016年にはISO品質方針に「優れた調査・研究成果を提供することで国土交通行政を先導・補完し、よりよい社会と国土の実現に貢献する」との使命を掲げ、2019年からは中期経営計画を策定して、役職員が一つの方向に向かう全員経営の実践を目指しています。
 49周年目となる2022年は中期経営計画で定めた予算の目標を達成することができ、新生JICEとしての成果が目に見えてきたところです。

一般財団法人としてのスタート

 転機となったのはちょうど創立40周年となる2013年(平成25年)でした。まだ黒字には転換できず、役職員の給与カットも続いていましたが、2013年4月に、新公益法人制度に基づく一般財団法人として再出発することとなりました。
 法人の基本事項を決定し外部の視点から経営を監視する評議員会と、業務上の意思決定を行う理事会の体制とし、評議員会長には中村英夫 東京都市大学学長(当時)、理事長には谷口博昭が就任しました。
 2016年にはISO品質方針に「優れた調査・研究成果を提供することで国土交通行政を先導・補完し、よりよい社会と国土の実現に貢献する」との使命を掲げ、「先導」の方向を打ち出しました。また、2018年のISO品質方針には、役職員が一つの方向に向かう「全員経営」の理念を掲げ、官学民の一層の連携による競争力強化を打ち出しました。

新生JICEの取組

 これらの成果は徐々に出始め、2017年からは役職員にカット無しの給与を支払えるようになり、 2019年には黒字転換を果たしました。
 2019年には「第1次中期経営計画 2019−2021」を策定。3か年の経営目標及び行動計画・行動目標を定め、品質の確保・向上、人財の確保・育成、働き方改革等に取り組むこととしました。
 2022年には「第2次中期経営計画 2022−2024」を策定。政策提言集団としての活動の強化、品質の向上、それを支える人材、働く環境の向上を図ることを重点としています。
 中期経営計画は各年度の事業計画に反映、フォローされることとしており、評議員会、外部監査、ISOサーベイランス審査など、外部の視点を生かすガバナンスの仕組みと併せて有効に機能しています。

関連年表

年(和暦) JICEの動き
2013年(平成25年)
一般財団法人へ移行
第7代理事長 谷口博昭 就任
創立40周年(2部4政策グループ制、職員82名、受託契約額13億)
2016年(平成28年) ISO品質方針に「国土交通行政を先導・補完する」を明記
2018年(平成30年)
ISO品質方針に「全員経営」の理念を掲げる
働き方改革関連法案成立
2019年(令和元年)
第1次中期経営計画(2019-2021)
第8代理事長 甲村謙友 就任
2020年(令和2年) 新型コロナウィルス感染症世界的に拡大
2022年(令和4年) 第2次中期経営計画(2022-2024)
第9代理事長 徳山日出男 就任
中期経営計画に掲げた受託目標額20億を達成
2023年(令和5年)
創立50周年(職員101名、受託契約額目標20億)
新型コロナウィルス感染症が感染症法2類相当から5類
(約3年4月に亘る対応の終了)