JICE 一般財団法人国土技術研究センター

JICE発足の背景

 

⓪ JICEの発足(1970年-1973年)

ポイント 「国土技術研究センター(JICE)」は、高度経済成長末期、環境問題などのひずみが顕在化する中で、根本建設大臣、坂野技監のイニシアティブの下、建設技術と国土政策に関わるシンクタンクとして、 1973年(昭和48年)6月30日に設立されました。
 JICEはその誕生の背景として、環境や国土利用と調和した総合的なインフラ政策を研究することを期待されていました。
 設立時の初代会長には新日本製鐵会長の稲山嘉寛氏(第5代経団連会長)、副会長には日建連会長の前田又兵衞氏、理事長には元建設技監の渡辺隆二氏がそれぞれ就任するなど、その顔ぶれからも期待の大きさがうかがわれます。

高度成長期のひずみ

 1970年(昭和45年)の日本は、1955年(昭和30年)以来続く高度経済成長に沸いていました。1964年には東京五輪を成功させ、東名高速道路や東海道新幹線が相次いで開通。1968年にはGDPで米国に次いで2位に躍り出て、日本は名実ともに「経済大国」となり、1970年の大阪万博には世界から6,400万人が来訪し、日本の復活を象徴する大会になりました。
 しかしながら一方で、大気汚染や水質汚濁などの環境問題や、都市と地方の格差問題など、高度経済成長は社会的なひずみや課題を生み出していました。1970年の第64回国会では公害問題に関する集中討議が行われ、「公害国会」と呼ばれましたし、東京外郭環状道路が地元の反対で凍結となったのも、この年の10月のことでした。思えば、大阪万博のテーマが「人類の進歩と調和」だったことは意味深なことです。インフラ政策は単純な量的拡大の時代から、環境や国土利用と調和した賢い投資が求められる時代に変わろうとしていました。

建設大臣への建議

 こうした変化を敏感に感じていたのは当時の建設省のトップ、根本建設大臣と坂野技監のコンビでした。両者のイニシアティブの下で、1970年10月に「建設技術開発懇談会」が開かれ、「建設技術開発会議」を設置して重要な技術開発課題を選定し、官民共同で実施する』方向性が打ち出されました。
 「建設技術開発会議」は、1971年8月に「建設技術研究開発5か年計画」を策定し、これに基づき、1972年には「総合技術開発プロジェクト(総プロ)」が創設されました。
 また、同会議は1973年5月に建設大臣に対する建議を取りまとめ、「今後の技術革新・情報化時代における国土開発政策を効果的に推進するため、官民協力による国土開発技術研究所(仮称)の設置について検討すべき」と提言しました。

JICEの設立

 こうした変化を敏感に感じていたのは当時の建設省のトップ、根本建設大臣と坂野技監のコンビでした。両者のイニシアティブの下で、1970年10月に「建設技術開発懇談会」が開かれ、『「建設技術開発会議」を設置して重要な技術開発課題を選定し、官民共同で実施する』方向性が打ち出されました。
 「建設技術開発会議」は、1971年8月に「建設技術研究開発5か年計画」を策定し、これに基づき、1972年には「総合技術開発プロジェクト(総プロ)」が創設されました。
 設立時の初代会長には新日本製鐵会長の稲山嘉寛氏(第5代経団連会長)、副会長には日建連会長の前田又兵衞氏、理事長には元建設技監の渡辺隆二氏がそれぞれ就任するなど、その顔ぶれからも期待の大きさがうかがわれます。

関連年表

年(和暦)

JICEの動き

1970年(昭和45年) 大阪万国博覧会(3-9月)
東京外環「凍結宣言」(根本建設大臣)(10月)
「建設技術開発懇談会」開催(10月)
第64回国会「公害国会」(11月)
1971年(昭和46年) 「建設技術研究開発5か年計画」を策定(8月)
1972年(昭和47年) 「総合技術開発プロジェクト(総プロ)」創設
1973年(昭和48年) 「建設技術開発会議」から建設大臣に建議(5月)
「国土開発技術研究センタ-」設立(6月)

 
設立に関わった関係者の思い

JICE設立に関わられた関係者の思いを、「十五年のあゆみ」に寄せられた文章や座談会から抜き出してみました。


  • 産・学・官の研究者が密接に協力し既存の研究開発組織の枠を超えて研究に取り組む、建設分野における総合的な研究機関として期待する。(建設技監 鈴木道雄)
  • 国土開発に関する総合的な研究機関。広く官・学・民の頭脳を結集して、総合力のある研究センターとしての役割を。(JICE第二代会長 武田豊)
  • 広く官学民の頭脳を結集し、新しい建設技術の研究開発とその応用を推進する機関としての役割。(日建連会長 佐古一)
  • 日本列島改造が進み出したので、その反面として環境問題が非常にやかましくなってきた。それで、環境アセスメントのようなものがちょうど世に出だした時代じゃないかと思うんですね。民間でもそういう情勢を背景にして三菱総研とか野村総研とかいうようなものが出てきた。それから、土地問題が非常に出てきたので、そうした土地政策とか国土政策に対する建設省のシンクタンクを持つべきではないか。新しい技術、あるいは学際的領域を取り上げるような機関が欲しい。(初代理事長 渡辺隆二)
  • 設立は48年ですけれど、それまでの準備に45、46、47年と3年かかっているわけです。技術開発の基本的方向をきちっとして重要な技術開発課題というものを選定して、それを官民共同でやる、そのための体制整備を造るという基本的な方向が打ち出されたわけです。(建設省技術調査室長 北野章)
  • (基本的方向の打ち出しは)根本大臣からです。もともと根本大臣はこのような技術開発懇談会ではなしに、最初から官民合同のシンクタンク的なものをお考えになっておられたようです。当時の技監が我々に、いや、大臣はシンクタンクだよと。これは当時技監の坂野さんが絶対シンクタンクというものを入れておかないとだめだといわれました。(建設省技術調査室長 北野章)
  • トンネル会社的なものは必要ない。自主的な研究をやらないような技術研究センターは、害こそあれ益はないというような相当強い意見が出ておりました。(建設省技術調査室長 北野章)
  • 発足当初の原点は建設技術政策と位置づけて、その中で一番最初にできたセンターです。(建設省技術調査室長 北野章)
  • たくさんのセンターの中で、当センターは老舗といいますか、原点であり、それぞれのセンターはそれぞれの目的によってだんだんと分かれていってできていると、考えます。(建設省技術調査室長 北野章)
  • 設立当初に心配された土研、建研、地理院との連携という点で、当センターというのは単なる研究所ではなくて、すぐ政策に結びつく、ソフト面を中心にということで立場が明確になっているので、そういう方向を堅持していただきたいと思います。(建設省技術調査室長 北野章)
  • やはり民業圧迫にならないように、同じことをやるんじゃないんだと。センターの存在理由をよく考えながら、今までやってない部分をプラスしてやるんだというようなことでやらなきゃいかん。(JICE第二代理事長 小坂忠)
  • 余り細分化、縦割りになりますと、ほかの類似センターと同じになっちゃう。やはりオール建設省、あるいは共通課題、あるいは局際ですね。(JICE理事 三浦孝雄)
  • 当時建設技術関係の動向は今までのハード重視から次第にソフト重視へと、個別技術から総合技術開発・充実への要請が強まりつつある時代でした。これらに対応するには、従来の建設省のハード主体でしかもどちらかというと基礎的研究主体の、土木研究所や建築研究所の体制では不十分とされていました。総合的な国土開発技術研究センターの設立の背景もここにあったと思います。(建設事務次官 坂野重信)
  • 国土開発技術研究センターの役割は、益々重要で、建設行政の施策決定上ブレーン役としても大切である。(建設事務次官 坂野重信)
  • 建設省はいろいろと忙しいので、特に長期計画のようなものを民間の協力を得てじっくり考えるグループがいるのではなかろうかというようなお考えに私も賛成いたしました。(東京理科大学教授 福岡正巳)
  • 当時、民間においても、また官主導でも多くのシンクタンクが設立され活動していたが、官民共同して総合的に建設技術政策を推進するようなシンクタンクは存在しなかったのである。(建設省技術調査室長 北野章)
  • 当センターはオール建設省といえる唯一の、しかも先達的存在であります。どうかこの輝かしい歴史を踏まえ、今後特に局際的なあるいは複合的な施策に関する課題についての中核になられますよう。(JICE理事 三浦孝雄)
  • 多忙をきわめる行政当局と、多様化するニーズの中で国土開発技術研究センターの果たす役割は今後ますます高まることと思います。出向者は、日頃の雑事から離れ、専ら技術者本分の業務に取り組み、疎遠になりがちであった技術力のいわば“磨き直し”を行って元の職場に復帰しています。この“磨き直し効果”はセンターの隠れた大きな存在意義ではないかと思います。(JICE理事 安岡九寿男)