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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

文化の破壊装置=テレビの惨状

掲載日時:2017/03/06

国土政策研究所長 大石 久和

総白痴化装置

 東京新聞系の週刊誌「週刊東京」(現在は存在していない)1957年2月2日号に、「テレビに至っては、紙芝居同様、否紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。」という大宅壮一の「言いたい放題」というコラムが掲載された。

 また、朝日放送の広報誌1957年8月号の「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という企画のなかで、松本清張は「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と「総」をつけて表現した。(以上、Wikipediaによる)

 すでに60年も前から、テレビが国民の白痴化装置として機能するとの警告が出されていた。「一億総白痴化」は、こうして大宅壮一の警句として以来ずっと流布してきた。

 見るべき番組が皆無になったなどといっているのではない。NHKを中心に考えを深めさせてくれたり、知識や教養の幅を広げてくれる番組は幾つも探すことができる。しかし、おしなべて言えば「テレビの総白痴化装置傾向」は年々強まっている感じは否めない。この傾向はNHKも例外ではなく、人心への影響が心配な安価で安易な番組制作が氾濫していると言っても過言ではない。

永六輔氏の嘆き

 テレビの草創期に活躍した永六輔氏は、晩年はテレビに出ることを拒否していたという。文藝春秋2016年9月号に、「テレビが日本人を恥知らずにした」と述べていた永六輔氏のコメントが紹介されていた。

  • クレージーキャッツの谷啓は、絶対に人前ではモノを食べませんでした。
  • 昔の日本人は人前でモノを食べることを恥ずかしいとしていました。
  • 「旨い」「凄い」の繰り返しだけで旅番組をつくる恥ずかしさ。
  • アメリカの友人に「日本のテレビは何か食べているか、仲間で悪ふざけをしているかばかりだ」と言われました。

 大昔から日本では、他人に口の中を見せたり、口に食べ物を運んだり呑み込んだりするところを人に見せることなどタブーだったのだ。

 今や人前でモノを食べることがタブーどころか、ほとんど積極的に見せようとする番組ばかりという有様だ。どこの局の、どの番組でも「人前での飲み食い」が占領している。食べた直後のタレントやアナウンサーに対して、彼らが「うーん」程度のことしか言えないにもかかわらず、カメラは執拗に何か言えと迫っている。これでは、世界中の国と比べて最も恥ずべき食事マナーを日本の子供たちは獲得することになるだろう。

 パーティーやディナーの席で、口に食べ物を入れたまま相手と話をすることを是とする文化を持った文明国などどこにもない。古来日本ではこれを特に厳しく戒めてきた。いま日本のテレビでは、この場面が全チャンネルにおいて圧倒的な時間シェアをもっている。

 永六輔氏が言うようにテレビは「日本人を恥知らず」にし、そして日本文化を破壊してきたのだった。テレビは白痴化装置に加え日本文化破壊装置も装備してしまったのだ。

 箸がまともに持てないタレントが、奇妙な箸の持ち方をさらしながら食事をしている、というより、タレント仲間がじゃれ合いながら品性も何もない方法でとにかくモノを食べている。箸を正しく持てないタレントは自局の食事番組では使わないなどという放送側の矜恃など、求める方がおかしいと言うことなのだろう。

 アメリカで育ったバイリンガルの日本の子供が、一時帰国中に日本のテレビを見て、「日本ではこんな放送しかしていないの」と嘆いたというが、今や国際的恥辱級の番組内容なのだ。2400万人を超えて海外から観光客がやってきて日本のテレビを見る時代にこういうことで「われわれの知的水準が知られて」いいのだろうか。

テレビCMの問題など

 コマーシャルもかなりが相当に酷い状況だ。あるホテルでの経験では、部屋のテレビのリモコンの「消音」のボタンは、文字が消えかかっているほどに使用されていた。番組を見ているときの音量では、CMになると耐えられないほどの大音量となるうえに、画面変化が激しすぎて、とても「音付き」では見ておられないからである。

 わが家の事情もまったく同じ。最も使用頻度の高いリモコンボタンは「消音」である。数年前にドイツでテレビを見たときの経験では、いつCMになったか分からないくらいにおとなしいものだった。もちろん、激しい「画面や音量の変化」など伴ってはいない。

 この違いがずいぶん不思議だったのだが、ドイツにはテレビ用のCMコードがきっとあると思ったのだ。かつてのピカチュウ事件ではないが、一秒を何分割かしたサブリミナルな構成に近い画面展開では子供への悪影響が大きいと考えているに違いない。

 テレビ視聴による子供や乳幼児への「脳や言葉、対人関係への悪影響」は、小児科学会や一部の学者からの報告があるが、メディアにはほとんど流れない。

 以上の指摘にも、それぞれ「なぜこうなっているのか」についてテレビ側の説明があるに違いない。経費の問題、視聴率の問題などそれぞれにもっともな説明があることだろう。しかし、必要なのはその内輪の説明レベルを超えた上位の問題への認識なのである。

 何のために放送しているのかということが内輪の視聴率などの論理の内にとどまっており、放送の影響といったより広範な目的が内部化されていないのである。

 上位目的の喪失は、わが国のあらゆる組織の最大の欠点で、官僚も「局あって省なし」と言われているようではテレビを嗤えない。テレビ放送は何のためにあるのか、この放送で国民の共有財産である「ある周波数帯の電波」を預かることができるのか。これに答えのないまま、テレビ放送は日本人と日本文化を破壊しながら今日も垂れ流されている。