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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

日本にしかないもの U

掲載日時:2016/01/06

国土政策研究所長 大石 久和

 前回に引き続き、世界にはなくて日本にしかない現象などを見ていきたい。

70年間一度もない憲法改正

 今回の安全保障法制が憲法違反だ、いやそうではないとの喧しい議論がわき起こったばかりである。憲法学者が何人も議論に登場したが、100年以上にわたって一度も自分で憲法をつくったこともなければ改正をしたこともない国に、大勢の憲法学者が存在するのも不思議な感じがする。彼らは何を研究しているのだろう。

 社会の価値観は時代の変化に応じて変わりゆくものだ。時代の価値体系の総集編とでもいうべき憲法が70年間一度も改正されていないことは、価値観や世界観の変動をとらえて改正を繰り返す海外諸国からはどう見えているのだろうか。

 以前にも示したが国会図書館憲法課によると、この間の改正はドイツは59回(ただし基本法という)、イタリア15回、フランス27回、アメリカ6回という状況なのだ。

 女性の地位向上などを新たに規定化した国も多いが、わが国では「男女の地位や役割」も1946年の価値認識のままで何の問題もないというのだから不思議を通り越している。

会社などの幹部が一斉に頭を下げる国

 いつの事件でもそうだが、今回の横浜マンション傾斜問題でも大会社のトップをはじめ幹部たちが報道陣の待ち構えるフラッシュのなか、一斉に大きく頭を下げるシーンが出現した。ドイツ最大の自動車メーカーのVWが、詐欺まがいの「データ捏造装置」を装備した車を世界中に売りまくったが、誰も頭など下げてはいない。

 ミスや不祥事は根絶するのが望ましいが、多数の人間で成り立っている社会であるからゼロであり続けることは相当に難しい。何か不祥事が発生すると、必ず大企業や官庁の幹部に思い切り頭を下げさせ、それを眺めて溜飲を下げている構図はなんともイヤらしい。これも、われわれが世界の常識の外にいることを示している。

アンカウンタブル要素の無視

 最近、いろんな局面で計量できる効果だけを求め、その結果、計量不可能や計算困難な事項が無視または軽視される事例が多くなっている。

研究支援態勢:iPS細胞研究者の山中伸弥京都大学教授は、アメリカと日本では研究者のサポート態勢がまったく異なるという。

 氏は、アメリカでは研究助手が勤続30年の表彰をされる例もあるくらい長く勤務して実験技量を磨いた人がいるのに、わが国では助手の採用は3〜5年間くらいしか認められないというのだ。研究効率を考えない当面のカウンタブルな人件費削減のためである。

 さらに、そもそもサポートをする助手の人数が日米では大きく異なるから、山中教授は「自分は一時期ネズミの飼育係のようだった」とも述べている。助手が足りず教授自身が研究を離れてネズミの世話をしていたのだ。これも助手の数というカウンタブルな事柄のみを見て、研究の進捗への影響を無視しているからである。

 アインシュタインとタイピストという有名な命題がある。もしアインシュタインがトップレベルのタイプの腕を持っていたとしても、やはり博士には理論物理の研究に没頭してもらい、論文の清書はタイピストに任せる方が全体効率が大きいというものだ。数値化できる人件費を削りたいわが国では、アインシュタインにせっせとタイプを打たせている。

 また、山中教授は日米間の研究環境の差はかつてよりも大きく拡大していると言うのである。最近、ノーベル賞受賞が続いているが、このような研究環境のままでは近い将来なぜ日本人は賞が取れないのかと嘆く時代が必ず来るように思えるのだ。

定数削減を含む公務員攻撃:実態を理解しない公務員攻撃が止まらない。国と地方を合わせても、人口あたりでは公務員数はフランスの半分でしかない(ほかの国と比較してもわが国はきわめて少ない)ことは、まず報道されることがない。

 民主党政権時には、3000人組織での新規採用がわずか5〜7人に削減されるなどという馬鹿げたこともあった。当面の人件費削減だけを考え、将来的な組織形態やサービスの維持については何も考えておらず、設定根拠がまったく理解できない数字であった。

 近年は公務員の給与も退職金も大きく削減され、成績優秀者(だけがいいとは言わないが)は公務員を目指さなくなった。今でもすでに国立競技場再建のような無様な失敗があるというのに、実態を無視した公務員攻撃のツケは今後数年を経ずして能力不足の公務員による具体の失敗や失態の頻発で証明されることになるだろう。

 公務員の給与水準の切り下げや定数の削減というカウンタブルな効果は測定されるが、能力や士気の低下といったアンカウンタブルな要素は無視されたままなのだ。種々の公務員攻撃は、すでに公務員制度というわが国の基本インフラの毀損をもたらしており、後世がその重いツケを負担することになるに違いない。

公共と私権のバランス

 これは東京大学情報学科の坂村健教授の指摘である。テレビの文字放送導入の時もそうだったが、わが国では「一律な強制としての新機軸」が打ち出せない。アメリカでは、文字放送導入に際して、13インチ以上のテレビには文字を写す回路設置を義務化した。

 そのため、まず全部のテレビが文字を映せるようになったことで、放送側もほとんどすべての番組を文字付きとしたから、耳の不自由な人の利便が一挙に向上した。そして付録的効果として文字による放送済み画像の検索が簡単にできるようにもなった。

 ところが、わが国では「回路の設置が望ましい」といったガイドラインを決めただけだったから、普及も進まず、そのため文字付き番組も増えないでいたのだ。

 シンガポールのETCでもそうなのだが、一斉に強制化することで得られる大きな全体の利益には目をふさぎ、「買えない人がいるから」などの論理を優先しているのである。