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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

歴史にあいた穴・再考

掲載日時:2013/04/05

 歴史を学んだり史跡を探訪したりすることは、ドラマに満ちたフィクションを読むように興味深いもので、最近では、歴史にはまる「歴女」の存在まで話題になっている。

 しかし、少し注意して歴史を見ていると、一般的な歴史書や教科書が本来説明すべきなのに、それを省略していることが結構多いものだと気がつく。たとえば、法隆寺の謎といわれるものがあるが、ほとんどの歴史書も教科書もその記述を欠いている。

 法隆寺には昔から7つの謎があるといわれてきたが、これらについて最も納得できる謎を解くための説明仮説を提出したのは、現在でも哲学者の梅原猛氏しかいない。しかし彼は歴史学者ではなかったため、彼の仮説はいまだに正当な歴史学からは無視されたままとなっている。教科書に載らないのはそのために違いない。

 法隆寺にまつわるわかり易い謎の1つは、「法隆寺の中門には門の真ん中に柱がある」というものだ。人が出入りするためにつくられた門の中心に、いかにも通行の邪魔をするかのように柱が建っている。わが国には数え切れないくらいの数の寺院があるが、門の真ん中に柱があるような寺院はこの法隆寺以外には1つも存在しない。

 このことは、法隆寺とは何なのか、何のために建てられたのかに関わる重大な情報のはずだが、歴史学がこれにまったくふれようとしないのは実に不思議なことだといわなければならない。写真家や建築家の中には、これを景観から説く向きもあるが、景観説では法隆寺の唯一性を説明できるはずもない。詳しくは、梅原氏の著作「隠された十字架」にふれてほしいが、このことは歴史にあいたままの大きな穴となっている。

 2つ目の穴は、「平城京などがお手本にした中国の都は城壁で囲まれていたが、わが国では都を囲む城壁をつくらなかった」ことを記述していない歴史書や教科書が多いことである。たとえば、歴史書専門の山川出版社の「詳説・日本史研究」には、平城京は碁盤目状の道路をつくったとは書いているのだが、平城京には、当時の中国人が都の造営に当たって最も労力と費用を費やした都市全体を囲む城壁がなかったことにふれていない。

 これは重大な記述欠損だと考える。それは、「城壁というインフラを必要とする経験を中国人はしたが、日本人はしていない」ことを学ばないということになるからである。城壁がなければ、都市の人間がほとんど殺されるくらいの虐殺を何度も経験したから、都市の建設に当たっては、巨大な都市城壁は不可欠だったのだ。その経験がない日本人は中国人などとは懸隔を絶するほどに異なる思考や感覚を形成しているのである。

 そして、生活の安全などには、しっかりしたインフラが必須であるとの感覚が日本人に希薄であるのは、城壁経験の有無が大きいことに気づかせる機会をも喪失している。ヨーロッパの各都市も城壁で囲まれているように、西欧と中国は同様の経験をしているから、両者の思考や感覚は結構似ている。またこのことは、世界の中でわれわれだけが違うのだということを学習するきっかけを失わせている。これも、きわめて大きな歴史の穴なのである。

 何よりの証拠に、わが国だけがまともなインフラ整備議論ができていないことがあげられる。イギリスのキャメロン首相が、「インフラは国のビジネスの競争力に影響し、ビジネスを成功へと導く見えない糸だ」と言っているときに、わが国の首脳は、「ムダな公共事業のバラマキを続けてきた」と述べる始末で、インフラを公共事業という表現通りフローでしかとらえられず、本来のストック効果が十分に理解できていない有様なのだ。

 穴はいくつも開いているが、もう1つ紹介したい。江戸時代の八代将軍・吉宗はよくドラマや映画に取り上げられ、歴代将軍の中でも有名人である。ところで、彼の子どもたちだけが「御三卿」を名乗って、御三家とともに将軍にまでなれる道が開けた家格を持つことができるようになった。現にのちには御三卿の一橋家からも将軍になっている。歴代将軍は誰も自分の子どもがかわいいから、長子以外の子どもの系列からも将軍になれるようにしたかったはずなのだが、創業の神君・家康以外の将軍にはそのような高い家格を持つ分家を創設することは無理だった。穴というのは、なぜ吉宗だけが家格の高い御三卿をたてることができたのかということなのだが、歴史書はほとんど何も説明していない。

 いったい彼のどんな功績がそれを可能としたのだろうか。すとんと落ちる説明はどこにも書かれていない。新田開発を奨励した将軍との説明もあるが、江戸初期には吉宗時代よりももっと大規模な新田開発がなされているのだ。

 これについても、法隆寺での梅原猛氏のように、納得しやすい仮説を提出した人がいるのである。板倉聖宣氏は理系の観点から日本史を検討し、吉宗の独創性を「日本史再発見・理系の視点から」(朝日選書)にまとめている。本書も随分古いのだが、彼が歴史学者でないことから、これも歴史学的には無視されたままとなっている。このように、歴史家の怠慢と狭量のおかげで日本史にはいくつもの穴が開いている(雑誌「セメント・コンクリート」に同様の随筆を掲載したが、好評ゆえ加筆・訂正してあらためて紹介した)。