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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

「正義とインフラ」が理解できないわれわれ

掲載日時:2013/06/06

 なかなか理解できないことなのだが、「西欧人には理解できても日本人には理解できない領域」があるとでも考えなければ、理解できないことがある。たとえば、「正義の実現のためには人命という犠牲を伴うことがあってもやむを得ない」という西欧人が持つ感覚はわれわれにはない。

 旧約聖書で説明しよう。仏教以外の世界宗教の共通啓典と言ってもいい旧約聖書は、彼らの精神のあり方を規定する基本的書物である。特に、アメリカ人は自身の北米大陸支配の論理と重ねて、この書を好むという。この書は、神の約束した土地に至るまでのイスラエルの民の苦難と闘争の歴史が中心だが、日本人によって解説的に紹介された旧約聖書物語では、肝心ともいえる残酷な場面が省略されることが多いから、原典にあたる必要がある。以下の話をどう感じられるだろうか。

 エジプトから逃れて約束の地に向かうため、モーセに率いられて移動するイスラエルの民の間に、モーセとその仲間に反逆する人々が現れた。彼らはモーセに「あなたたちは分を越えている」「主がおられるのに、なぜ会衆の上に立とうとするのか」というのである。モーセは激しく憤って、主に「私は誰も苦しめたことはない」と訴えた。

 主はモーセに「共同体の人々は、彼らから離れよ」と命じ、それを受けてモーセは、反逆の首謀者たちに次のように告げた。「主が私を遣わして、これらすべてのことをされたので、私が自分勝手にしたのではない」と述べ、さらに「もし主が新しいことを創始されて、大地が口を開き、彼らと彼らに属するものをすべて呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるならば、この者たちが主をないがしろにしたことをあなたたちは知るであろう」と言ったのである。

 すると、語り終えるやいなや、「彼らの足もとの大地が裂けた。地は口を開き、彼らと仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。彼らと彼らに属するものすべて、生きたまま、陰府に落ち、地がそれを覆った。彼らはこうして、会衆の間から滅び去った。(略)また火が主のもとから出て、香を捧げた250人を焼き尽くした」(旧約聖書・民数記16)というのである。

 首謀者が地の裂け目に生きながら落ちていっただけでなく、その同調者までもが生きながらに焼き殺されたのだ。彼らが何をしたというのだろう。モーセの主導に疑問を唱えただけなのだ。イスラエルの民は、神が示した約束の地に必ず到着しなければならない。そのためには、神が指名した指揮者に完全に従うことを厳然たる「正義」とする必要があり、その正義の貫徹がこの犠牲を必要としたのである。この物語は、「なるほど、その通りだ、やむを得ないことだ」と、われわれ日本人の心にすとんと落ちるだろうか。

 西欧人は、その後も何度も正義を作り出してきた。「人は自由で平等であり、博愛に富むべき」という正義は、フランスで革命となり150万人もの犠牲を生んだ。石川英輔氏はこの犠牲に対し、「これほどの犠牲を払ってでも実現しなければならない正義など、この世にただの1つもないと信じる」と述べたが、ほとんどの日本人はこれに共感するだろう。

 誰も反対できない正義を掲げて大衆を団結させ、大量虐殺を伴う紛争に対峙してきたのが彼らの歴史だ。当方にはそのような経験は皆無だから、9.11後のイラクに対するアメリカの行動などもわかりはしない。何しろ、各人の家・屋敷のなかで最もセキュリティに関わる重要な扉が内開きでなく外開きの国など、日本以外にはどこにも存在しないのだ。

 彼らは、都市にしろ屋敷にしろ、セキュリティ最優先で考えてきたから、城壁を不可欠な設備として考案し、日常には不便でもイザという時に備えて内開き扉を採用してきた。その結果、インフラが命を守る要であることを、何千年もかけて学んだのである。その経験が、2012年3月、イギリスのキャメロン首相に次のような発言をさせたのである。

 「社会資本は、現代生活を支えるとともに、経済戦略において重要な位置を占める。決して二流であってはならない。それは、国内のビジネスの競争力に影響し、またビジネスを成功へと導く見えない糸である。(略)もし、われわれの社会資本が二流になれば、われわれの国も二流になる。」この認識はインフラを正しくストックでとらえている。

 ところが、わが国では2012年4月、野田総理(当時)は次のように述べた。「まだまだ至らぬ点があることを率直にお詫び申し上げるが、公共事業費を3割以上削減するなど、政権交代以前にはできなかったことが、次々と実現している。」

 キャメロン首相以外にも、フランスやイタリアの首脳も、オバマ大統領も何度もインフラの重要性について触れているが、その多くがストックとしての効果を語っている。ところが、わが国では首脳も経済学者や評論家も、野田氏のように、インフラをほとんどフローでしか語らない。ストック効果をまったく見ていない言説ばかりなのだ。

 たとえば、法政大学の小峰隆夫氏は、「東洋経済」の2013年3月23日号で次のように言う。

  「公共投資頼みの経済政策は効果が一時的で、副作用が大きいという問題点がある。(略)成長率が高まるのは、公共投資を実行しているときだけだ。また、財政赤字が拡大するという副作用もある。(略)公共投資を増やして財政赤字がさらに拡大すれば、本当に近い将来の破綻懸念が強まる。(略)財政再建こそが成長戦略だとさえいえる。」

 しかし、「一時的」などと言うが、「高速道路のミッシングリンクがつながることで、物流や人流が今後永劫に円滑になる」ことなど、長期にわたって発揮されるストック効果をどう考えているのだろう。また建設国債発行の「副作用」もいい加減な表現だ。過去4年間の国債の伸びを見ると、赤字国債は毎年35、34、25、35兆円ずつ増えているが、建設国債の方は、毎年それぞれ13、8、3、-2兆円程度なのだ。

 公共事業は執行能力の範囲しかできないから、建設国債は赤字国債のように伸ばせはしない。実に不思議なことに、急増する赤字国債の増額を心配せず、はるかに少ない建設国債の伸びを心配しているのだ。本末転倒とは、まさにこのことを指すのである。