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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

現場と企画の分離という幻想

掲載日時:2015/07/05

 橋本龍太郎内閣での省庁再編の際に、「新しい省庁では、企画部門と現場部門を分離すべきだ」という議論が起こったことがある。厳しい財政事情がいつも議論の背景にあるから、再編にあたっても中央のスリム化によって経費の削減を図るためには、現場部門を地方公共団体に吸収させたりすべきだとの考えを持つ人がいたようなのである。

 実際には、このような考え方で省庁再編がなされなかったのはよかったのだが、もしこのようなことをしていたら、いくつも問題が顕在化することになったものと考える。企画立案は、現場からの問題の抽出があってはじめて行えるものだからである。たとえば、火災現場の経験を踏まえない防災や消防の政策の企画は不可能に違いないし、災害の現場経験を積み重ねることなく、防災減災のための制度構築や構造物設計ができるわけがない。また、教育や保育の現場の問題点を踏まえない教育施策などあり得るはずがない。

 現場経験を離れて、わが国が陥りがちな「あるべき論」などに拘泥して政策や計画を作れば、実際の執行能力を無視した空論に終わることだろう。現場の環境、現場の人員配置、現場の人員の能力などに応じて、臨機応変に現場施策は考えられなければならないが、ややもすると観念の押しつけになって混乱だけが残ることになるのは目に見えている。

 分かり易い例がある。地域のことは地域が決めるのが正しいというお題目のもとで、公共事業費は補助金として使途を特定する形ではなく、ほとんどが交付金化された。「何にでも使えるような金として配分し、身近なものは身近で決めるようにするのがよい」「補助金などという省庁のひも付きはなくすべきだ」というのである。

 一見非難のしようもないスローガンだが、実は地方の政治的決定の現実的メカニズムについて無理解であるために、必要事業への予算投入に問題が生じているのである。

 それは、「身近な決定には、身近な有力者の声が決定的に効く」というメカニズムなのである。そのために、多くの地方で交付金事業のシェアが、地方のなかのある地域や事業ごとに固定化するという事態が生じている。配分された交付金を翌年に他地域や他事業に配分替えすることができず、事業や地域の「既得権」となってしまっているのである。

 県や市町村への補助金が交付金化したことで、担当者の行政的な裁量権が大きくなって地域の有力者からの苦情に対し、「この地域の事業に個所付けができなかったのは、○○省が地方の実態も知らず補助金を見送ったから」と、霞が関を悪者にした言い訳で乗り切ることができなくなった。真実とは異なるこの言い訳を信じて交付金化したのだが、結果的に配分が固定され事業の機動的執行が難しくなっているのである。

 現場を持たず地域の実態に疎い学者や評論家などから、企画と現場の分離などという常識に反する主張が繰り返し出てくる。先の戦争で「現場知らずの参謀が実質的に部隊を指揮して大失敗を犯す」経験を繰り返し、結果敗戦に至ったことからほとんど何も学んでいないのではないかと思えるほどなのだ。

 ノモンハンしかり、ガタルカナルしかり、インパールしかりなのだ。陸軍でいえば、ごくわずかの陸大の卒業序列のトップ層だけが、参謀として作戦課に配属され(半藤一利氏によると、卒業席次5番以内でないと作戦課には入れなかったという)、彼らは超エリートとして組織に君臨し、現場知らずの最高幹部になっていったのである。

 旧軍幹部の現場知らずぶりについてはいくつもの証明があるが、ガタルカナルが「餓島」と呼ばれ、インパールでは日本兵が「白骨街道」を形成したことを見るだけでも十分だ。兵姑軽視は日本軍の悪弊であったが、このことは現場知らずの証明でしかない。

 アメリカ軍の現場重視の見本のような話がある。1942年5月に珊瑚海で行われた海戦(珊瑚海海戦)は、空母同士というまれに見る戦闘で、日本海軍は戦術的勝利をおさめたものの、戦略的にはアメリカが勝利したといわれている。

 この戦闘終了後、戦術的に敗北したアメリカ海軍は、生き残りのパイロットを本国の海軍航空局に呼び出し、情報と意見の開陳を求めたという。また、戦闘機を製造していたグラマン社の社長は、この海戦で零戦と戦ったパイロットにインタビューして、新型戦闘機の性能にこのインタビューを参照したというのだ。現場が直面している課題に対する中央のアンテナの感度が日本軍とはあまりに違うのには驚愕せざるを得ない。

 常に現場を低く見て、高台からあたりを脾睨する感じで突っ立っていたのが、わが日本軍の作戦参謀だった。現場から学んだり現場の意見を吸い上げたりしようなどという発想など、端からまったく持っていなかったのである。

 省庁再編にあたって、霞が関からも「企画と現場の分離」などという戦前のような感覚が出てくるのは、いまの官庁が何か旧陸海軍的な体質を持っているからではないかと心配だ。現在でも、一部では入省成績上位のものだけが○○課などに配属され、その経験者でなければ将来の高級幹部になれないという話が全くないわけではない。

 このことは、人とは変化し成長する動物であるという人間存在の本質を何も理解していないことの証明だし、人間を22歳頃の到達点だけで評価して固定化し、その後の努力や成長を完全否定している。このような神話が流布するようでは、旧軍の参謀本部と同様に時代の変化に劣後していくことになるのは必定だ。

 日本を代表していた電気製品会社が、「これからはコンテンツの時代だ」とかいって、製造会社であるにもかかわらず、ボードメンバーから現場感覚のある人間をほとんど排除したことがあった。アメリカ流の企業統治制度をそっくり導入してメディアをにぎわしていたが、結局時代の変化に取り残されてしまった。また、現場の情報が幹部に上がりにくい体質の自動車会社が、リコール隠しを繰り返す事件も生じている。

 やはり、「神は細部に宿る」のである。企画部門が現場を軽視したり、ましてや分離して別組織になどすれば、「神の導き」を喪失してしまうのは当然なのだ。