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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

単純な議論と間違った結論

掲載日時:2015/08/07

 1票の重みに格差がありすぎるとして、先の衆議院選挙をめぐって違憲判決が相次ぎ、これをめぐってにぎやかな議論が巻き起こっている。住民1人当たりの議席数を強調する主張が多いが、そうするとアメリカの上院議員には66倍もの人口格差があるではないかとか、地域の広さや国土管理の難しさは無関係でいいのかといった議論もされている。

 これに関して、2012年12月に「日本政策学生会議・政策フォーラム2012」が、公共事業費の地域配分と1票の重みとの相関を研究し、1票の重みが高いところほど公共事業費の地域配分が大きく、「1票の格差が公共投資の配分を歪ませ、不平等を生じさせていたことが証明された」との報告をまとめた。

 そのなかで、「公共投資が、1970年代を境に地域間の所得再配分を目的のひとつにしている。この所得再配分が投票価値を利用した利益誘導型政治に結びつくのではないかと考え」、調べたところ、「1票の価値の重い地域には公共投資が多く投下されていることを示し、票の価値による不平等を証明している」と結論付けたのである。

 随分単純な推論で間違った結論を導いたものだと驚くばかりだ。相関と因果の違いすらわかっていないし、社会資本整備の歴史も学んでいない空疎な結論だと断ぜざるを得ない。

 わが国は1960年にアメリカとの安全保障問題を「安保改定」でクリアすると、池田勇人内閣以降、経済の時代を歩むこととなった。「経済成長」が政治のスローガンとなったし、「経済問題」が政治の中心テーマであり続けてきた。

 資源のないわが国では、経済成長を牽引する産業は、輸出入の容易さとすでに人口が多かった太平洋側を中心に立地していった。東海道ベルト地帯をメガロポリスなどという表現も生まれた。そこに、若手の労働力として地方の中学や高校の卒業生が、大量に送り込まれ、ピーク時の1961年頃には、三大都市圏が地方圏から年間に約60万人もの人間を集めていったのである。

 社会資本も経済成長を支えるため、まずは太平洋に面した海岸地帯から整備されはじめ、大型の公共事業が「東京と大阪」の間から実施されていった。一般国道の拡幅、線形改良、舗装をはじめ港湾整備も、高速道路も、新幹線も、都市再開発も、都市高速道路も、住宅供給も、河川改修も、水資源開発も、すべて経済成長を支え、地方から集まる人々の生活の利便向上のために、この地域から始まったのだ。

 地方からやってきた若者は、この東海道メガロポリスで結婚し所帯を持って定着していった。出身のふるさとは雇用機会も少ないうえに、生活不便地でもあったから、一般的には次男次女たちであった彼らはUターンして帰ることもなく、そのまま都市生活民となっていったのである。

 整備された社会資本の利便性の威力を知った日本人は、やがて大都市圏以外にも整備を求めるようになったが、財政圧力もあって整備スピードが上がらないまま、今日でも高速道路でいえば、日本海側を縦貫することすらできていない有様なのだ。

 圃場整備の努力や農業の機械化もあって、少労働力での農業が可能となったため、地方からの都市へのさらなる人ロ収奪が生じ、生活不便地に高齢者を置いたまま生活利便地にその子供たちが定着しているというのが、今日の人口分布の基本となっているのだ。

 だからもし、高度経済成長の初めの頃の、まだ地方に人口放出能力があり東海道ベルト地帯整備の最盛期に、「1票の価値あたりの公共事業費」を算出していたら、最近とはまったく異なる「大都市偏重」という結果になったことだろう。

 「1票の格差が公共投資の配分を歪ませ、不平等を生じさせていたことが証明された。」という話は、生活不便地を利便性高い地域にするための社会資本整備の順番がやっと回ってきたと喜んだときには、すでに大都市圏による地方圏からの人ロ収奪が完了していたということにすぎないのだ。

 「公共事業費の地域配分」が、1970年以降は所得の再配分を目的としているとの指摘をしているが、それは一体何を指しているのだろう。渦中にいた者にも理解できないのだ。何がどう変わったことを指して、公共事業が所得の再配分を目的化したというのか。単に整備すべき事業が、地方に残ってしまっていたというだけではないのか。

 公共事業というフローの表現は、公共事業の本来の目的であるインフラストラクチャーを形成するストック機能についての理解を妨げることが多い。公共事業は、「将来世代の生活を安全にし、効率的にし、そして快適にする」現世代からの贈り物なのだ。このことは、フローの表現しかできないようでは、見えてこないのだ。

 この論理では、生活不便地はいつまでも不便地のままで、人口流出が進み、超高齢化が進行していくことになるだろう。わが国土は、ヨーロッパや北米大陸とは異なり、長期的な崩壊過程にあるし、数百万年前の氷河期に山岳地にしか氷河がなかったために、国土中に風化岩があって、それが雨や地震で簡単に崩れ落ちるという厳しい特徴を持っている。

 それは、ヨーロッパや北米大陸が全体に分厚い氷河に覆われ、氷河期が終了するにつれて風化した地層を巻き込んで押し流してしまい、後にはしっかりした地盤が残ったというのとは、まるで異なっている特殊な事情なのである。

 したがって、わが国土は人が住んで、いつも丁寧な手入れをしていないとすぐに荒廃してしまうのだ。何千年にもわたって、先祖たちが手入れして今日に引き継いでくれた国土を、わが世代の都合で寸土といえども荒廃させる自由など、あるはずがないのだ。

 遠藤乾・北海道大学公共政策大学院教授は、最近の中央公論で「近年特に気になっているのが、21世紀になっても衰えることを知らない東京一極集中(の思考法)である。頭脳も、情報も、資金も、あらゆるものが東京に集まる。(略)しかしその一方で、地方への感覚は、薄れていく。そこに生身の生活があり、知恵があり、誇りがあることは、次第に汲み取られなくなっていく。」と述べているが、まったくその通りなのである。