• JICEについて
  • 調査報告・研究成果
  • 助成・表彰・審査制度
  • 技術資料・ソフトウェア
  • 国土を知る

技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

GHQによる検閲の時代

掲載日時:2013/10/07

 最近、霞が関の課長クラスの人と話す機会があった。そこで、昭和27年4月までの占領時代には、今の日本人には想像もつかないほどの厳格な情報統制・検閲がGHQによって実施されていたのだという話をしたら、誰一人としてそのことを知る者はいなかった。

 高校などでの日本史では、戦後史を教えることはあまりない。現在なお歴史的事案の解釈をめぐって対立する議論があり、学校や教師がそれを避けるために、あえて時間切れにして戦後史には入らないのだという説もある。

 しかし、この占領時代に行われたことについての認識がないまま、「いまわれわれ日本人はどこに立っているのか」を理解することは不可能だ。われわれが有史以来はじめて経験した外国人による統治に服した占領時代に、日本人は何を語ることができず、どうねじ曲げられたのかについての知識がなかったり、強大な権力を背景に行われた検閲時代の中身を振り返ることなく、平成のいまを理解できないし将来議論もあり得ない。

 実に不思議なことに、占領時代に行われた検閲を積極的に研究する歴史家や政治学者がほとんどいないこともあって、江藤淳氏が「閉ざされた言語空間」と名付けたこの時期の研究は、今日でも進んでいない。この時代の言論状況は、いまでも閉じたままなのである。

 この時代こそ、占領軍(=アメリカ)による日本人改造計画が実施され、それが貫徹された時代であったのだ。「(江藤氏の調査は)日本帝国敗戦後の占領期間中に米軍が強行した検閲という手段を通じての、日本人の言語空間に加えた封鎖工作の実態調査である。その工作によって日本国民の精神と感性が如何に深い傷を負わされたか。(略)而も自分たちが深い傷を負っていることを自覚することさえできずにいる自称知識人が如何にちまたに氾濫し、世を毒し続けているか。」(勝岡寛次「抹殺された大東亜戦争」明成社)という状況を生んでいるのである。

 いま多くの若者が、戦後になって占領軍から「言論の自由」が与えられたと考えている。しかし、憲法に国民には言論の自由があると書いたその占領軍が、トンデモ級の言論弾圧・検閲を行っていたのである。占領時代に比べると、何についても中途半端で甘い日本人が行った戦前の方がはるかに自由な言論環境を持っていたと言っても過言ではないくらいである。(以下の具体事例は、主に江藤氏の著作に依存している)

 まず昭和20年9月14日、同盟通信社が占領軍によって24時間の業務停止を命令された。翌日には、「同社の通信は日本のみに限られ、同盟通信社内に駐在する米陸軍代表者によって100%の検閲を受ける」との解除条件が突きつけられた。

 昭和20年9月18日、朝日新聞は48時間の発行停止処分を受けた。英字のニッポン・タイムズは、9月19日から24時間の発行停止処分を受けたが、これは記事が検閲に触れたからではなく、社説を事前検閲に提出しなかったためであった。10月1日になって、東洋経済新報の9月29日号が、占領軍から回収命令を受け断裁処分されていたことが明らかとなった。

 江藤氏は、「あたかも計り知れないほど大きな力が、占領開始後間もない時期に、外部から日本の言論機関に加えられたかのようであった。そして、この時期を境にして、占領下の日本の新聞、雑誌等の論調に一大転換が起こったことも、実際にその紙面にあたってみればまた明らかであった。」というのである。

 7年間にわたって、新聞報道を規制した「日本新聞遵則」(放送も同様)には、「連合国最高司令官は日本に言論の自由を確立せんがためここに日本出版法を発布す」と冒頭にあるが、「連合国進駐軍に不信、憤激を招来する記事は一切掲載すべからず」とあるように、実態は厳しい検閲方針の発布だったのだが、残念にも日本人はまったく抵抗していない。

 「削除または掲載発行停止の対象となるもの」の一例を示すと以下の通りである。

  • 連合国戦前の政策の批判
  • 連合国最高司令部に対するいかなる一般的批判
  • 極東軍事裁判に対する一切の一般的批判
  • 日本の新憲法の起草にあたって連合国最高司令部が果たした役割についての一切の言及
  • 出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに関する直接間接の言及
  • アメリカ合衆国に対する直接問接の一切の批判

 これに加えて、連合各国への批判も検閲の対象となっており、満州にソ連軍が侵入して行った略奪の報道も削除させられた。占領軍による言論弾圧は、焚書や私信の開封までやるという、歴史的に見ても野蛮きわまりないものだった。当然、言葉の壁のために多くの日本人が検閲に参加・協力しているが、検閲官であったことは一生の秘密とされたから、今日まで名乗り出た人はごくごく少数にとどまっている。また、GHQは巧妙にも戦前のように削除部分を×で置き換えたり、塗りつぶしたりするようなことは許さず、あたかも検閲などされてないかのように必ず版を組み替えさせてもいた。

 憲法形成過程についての一切の言及を封じられると、憲法そのものへの批判ができなくなるのは当然である。その結果、今日まで大きな時代環境の変化が起こってきたにもかかわらず、先進国のなかでわが国だけが憲法改正議論をタブーとして平然としてきた。

 講和条約によって占領が終了した後も、「占領期には、GHQにすり寄った『一大転換した報道を続けていた』」ことについて、メディアは一切頬被りし口をつぐんだままでいる。ということは、われわれはGHQ支配時代のままの言論空間に生きているということなのだ。白状も告白もないメディアの姿勢こそが、この時代についての積極的な研究や言及を封じており、日本人があの時代に何を喪失してしまったのかについて考える機会を奪っている。だから今でも戦前の連合各国の政策は正しかったが、われわれだけが間違い続けてきたという思考の型がわれわれを縛っているのである。