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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

市民考

掲載日時:2013/11/07

 平成19年6月号の本コラムに以下のようなことを書いたことがある。

 『「大江戸エネルギー事情」や「大江戸リサイクル事情」など、江戸時代の江戸の暮らしを驚きとともに分かり易く紹介している石川英輔という作家がいる。その彼が、「江戸の市民」という言葉を使ったら、「市民革命を経ていない江戸時代に、市民がいたはずがない」と批判・指摘されたと述べている。』

 では、わが国に「市民」はいたことがあるのかというと、歴史上一度もないし、今もいないと言っていい。今回はこのことについてもう少し考えてみたい。

 まず「市民」について辞書的な解説を見てみよう。ブリタニカ国際大百科事典では、「ある国家、社会並びに地域社会を構成する構成員を意味し、国家においては国民、市などの行政単位においてはその住民をさす。ただし本来の意味は多岐にわたり、古代都市国家や中世都市においては政治経済的特権を保持した自由民をさした。」とある。

 また、スーパー大辞林では、「その市に住んでいる人。また、都市の住人。国政に参与する権利を持つ人。公民。中世ヨーロッパ都市の自治に参与する特権を持つ住民に由来する。」と解説している。

 これらの説明からは、市民という言葉を地域の構成員という意味で使っても、うるさく批判される必要はないと考えるのだが、特権の保持だとか自治への参与だとかというと、江戸の町民を始め、わが国での都市生活民はどうだったのだろうか。

 「政治経済的特権」とか「自治に参与する特権」とあるが、わが都市生活民が持たなかった特権がなぜ生まれたのかの根源を考える必要がある。何もせずして特権という特別の権利が得られるわけがないからだ。市民としての権利がどこから来たのかといえば、当然だが「市民としての義務・責任を果たす」ことで得られたに違いない。

 何度か記してきたが、ヨーロッパなどでは、都市城壁内に暮らして外敵からの安全が保たれた生活を享受するためには、構成員は城壁内に暮らすための責任を果たさなければならなかった。もちろん、城壁はイザ戦争というときに備えるインフラであるから、「イザというときに城壁内での暮らしを守る責任を果たす」というのが、第一の責任である。

 ある人は兵士として、ある人は武器の製造や修理の技術者として、ある人は壊された城壁の補修や改築の技術的専門家として、ある人は食料の調達・配送の責任者としてなど、多くの人々がそれぞれの領域で責任を果たさなければ、戦いに勝つことはできない。日頃からこれらの訓練に参加する責任もあったに違いない。この責任を果たすことを誓った人だけが、城壁内に居を構えることが許されたのである。

 さらに果たさなければならない責任は、「平穏時の長い年月の間、狭い城壁内に多くに人がトラブルなく暮らしていく」ための暮らしのルールの確立とその受容である。

 パリを見ても、シテ島周囲から始まった都市城壁は、人口増加などの時代の変化とともに拡大し、最終的には周囲34qという大きさになったが、いつの時代にも大勢の人が肩をぶつけるようにひしめいて壁のなかで暮らしてきた。この大きさだと、わが国のように「みんなでとことん話し合って、みんなで守りごとを決め、それをほとんどの場合、成文化することなく、みんなでの約束として遵守する」というわけにはいかない。

 厳密な成文のルールを定め、それを守ると約束する人だけが城壁内に暮らすことができる権利を得るということにならざるを得ない。当然、ルール違反者に対する処罰もあらかじめ厳格に定めておく必要があったし、当然のこととして違反者を取り締まる公安の仕組みも、公平かつ迅速に裁くための裁判システムも用意されたのである。

 特権を持った市民は、普段からルールを守り、非常時のイザという時も城壁内に暮らす構成員としての「責任を果たすことをあらかじめ約束した人々」だったのである。石川氏に対してなされた「市民とは市民革命を経た者」との指摘は何を指すのか意味不明だが、フランスで言えばフランス革命以前から市民は存在していたのだ。繰り返しになるが、「市民とは、責任を果たすことを約束したことで安全な城壁内に住む権利を得た人」を指す言葉なのだ。革命を経たかどうかなど何の関係もない。この責任の内容は、すでに見てきた通りなのだが、これを総括すると、「皆(自分を含む)の利益になることについてもキチンと責任を果たす」ということになる。自分の直接的利益とならなくても、「みんなで、みんなのための」責任を果たすということだ。みんなの利益が確保されなければ自分の利益は生まれないとの認識だ。

 これは、「公」の確認とか発見と言っていいものだ。個人の生活を守るためには、「私」に優先する「公」というものが不可欠だという発見なのである。では、この発見はいつ頃なされたのか、紀元前3世紀ころのパリのシテ島が最初なのかというと、もっと遙か昔の紀元前3500年前のシュメールの都市国家の時代にまで遡る。

 この時代のここで、宗教が生まれ、王政という統治制度が生まれ、少し後には文字が発明されるという今日につながる文明が生まれたが、シュメール都市は都市城壁を持っていたから、「公概念」もすでに獲得されていたと考えられるのである。

 これを端的な表現でいえば、都市計画と個々の建築との関係でいう「計画なきところに建築なし」を受け入れる精神といってもいい。土地利用にしても何にしても、私に優先する公があるとの考えの受け入れこそ、市民の誕生だったのである。このように市民とは権利に見合う義務を負う覚悟を持った人たちを指すということになると、市民運動とは、「要求する権利に相当する義務や責任を引き受ける」という運動ということになる。

 最近、小平市の都道整備(ある区間だけが未着手)に対して、「雑木林が伐採される」との反対運動があったが、では、都道未整備による不利益を誰がどう負担するのかについては誰も何も言わない。やはり、われわれが市民だというのはかなり苦しいのだ。