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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

残念だが「言葉」を再考する

掲載日時:2013/12/06

 われわれ日本人の使う言葉のいい加減さが、この国をおかしくしていると心配でならない。若者がメールとかツイッター程度の分量しか書けず、自分の思考をまとめる程度の長文が書けないのは問題だが、もっと問題なのは、メディアに登場するような「一応論説として書いているもの」も、定義がない言葉を使うため何の意味もなかったり、論拠をまるで示さずただ主張があるだけなど、大人がまともに書けていないことなのだ。

 前にも示したが、チャーチルは、「第二次世界大戦」という回顧録で、日本語について語り、「日本軍の計画の厳格さ、そしてその計画が予定通り進展しない場合は目的を放棄するという傾向は、主として日本語のやっかいで不正確な性格のためであったと思われる。日本語は信号通信によって即座に伝達を行うのがきわめて困難なのであった。」と述べている。このように、そもそも日本語は論理的な文章を作るようにできていない。

 だからこそ、世界と渡り合うグローバルな時代だというのであれば、現代のわれわれはより正確に情報伝達できる言葉使いや、論理構成の正しい文章表現を心がけなければならないのに、まるで正反対の方向に走っている。経済産業研究所の藤井敏彦氏は、最近の中央公論(2013年3月)で、次のように述べている。

 「日本の組織、社会の最大の弱みを1つだけあげろと言われれば、私は『言葉』だと思う。(略)考え抜いた言葉のやりとりは新しい価値の創造につながる。(略)日本の企業の同質性が弱みに転じているが、それはひとつには、同質な組織体では『言葉の力』が理解できなくなるからではないかと私は考えている。ひとりひとりの価値観が違うことが意識されるとき、言葉の真の力強さが理解できる。(略)思うにグローバル人材とは、価値観が異なる人たちと対話し協力しながらひとつの方向にまとめ、新しい価値を創造することのできる人ではないだろうか。(略)言葉の大切さへの理解は絶対的な条件である。」

 氏が言うように、われわれは同質な組織体のなかで暮らしてきた。われわれの原点である小集落が、そもそもそうであった。また、機能集団がいつの間にか同質の共同体に変身するのは、旧陸海軍の将校・参謀グループがそうなったようにわれわれの本質のようだ。企業においても、一部では多様化へのバネが働かず同質化方向への傾斜が見られる。

 氏の指摘の通り、多様性の欠如こそが日本病の本質中の本質だ。しかも、多様性の容認は民主主義の根幹をなしているのだから、やっかいな話なのだ。違う意見の存在が、民主主義を政治のメカニズムにすることを可能としているのである。

 ところが、わが国では、言論はコンセンサスに至るために存在するかのようであり、全体が単一色に染まらなければ正解に達したとは思えないところがある。山本七平氏がユダヤでは全会一致の決議は無効となると述べた記憶があるが、われわれには想像もつかない世界である。全会一致こそが正しいとするわれわれは、まったく正反対の世界にいる。

 このような同質的な組織体のなかでは、「みなまで言うな。おまえの言いたいことはよく分かる」と言う上司や仲間がいい上司やいい仲間であり得たのである。しかし、このような言語不要の世界では、厳密で隙間のない情報の伝達や共有などが図れるはずもない。

 「言葉の力」の重要性を理解しないままでは、思想構築もものごとの理解もさっぱり進まない。深い思索は母語でしか行えない。言葉がどんどん弱くなっていっていることは、この国の毀損が深く進行している最大の原因でもあり、結果でもあると考える。

 石井紫郎氏が、「定義なき概念の濫用」を次のように戒めていることは過去にも紹介した。「文科系の人は言葉の定義をしないとよく言われますが、概念をあらかじめしっかり押さえ、具体的にその概念の内部に何が含まれ、またその概念の外側にあるものや別の概念との関係においてはどういう位置を占めるのか、といったことを固めて議論することが、日本人はあまり得意ではありません。」と言うのである。

 氏のこの指摘はきわめて重要なのだが、この指摘の本質は「事実を固めて議論せよ」「内容が可能なものかを踏まえて主張せよ」ということだと考える。2013年1月21日の朝日新聞の社説「財源論の前に規律を」はどうだろうか。「財源論の前に確認しておくべき規律は、ほかにもある。高速道路の新規着工に手を広げないこと。そして既存の道路についても一部は捨てる発想に立つことである。」との主張である。

 これは財政という細い管から世界を眺めており、この20年が証明した「財政の論理ばかりを優先すれば経済は成長せず税収は増えないのだ」という事実に何も学んでいない。おまけに、つながって初めて効用を発揮するネットワーク型のインフラ、たとえば上下水道や道路、河川堤防などは中途半端な状態で止めれば過去の投資分が無駄となるうえに、事業効果がまったく発揮できないままとなることを理解していない。1980年代の幹線道路の橋の落下が続いた「荒廃するアメリカ」といわれた時代でも、アメリカは道路の新規投資を落とすどころか増加させてきたことを知ったうえで述べているのだろうか。

 わが国の道路投資は、新設費と維持管理費とをあわせて、この10年間で4割もカットしてきた。財政状況が厳しくデフォルトするのかと世界を震憾させたアメリカだが、道路予算は増え続け、現在は史上最大規模の道路投資(新設・管理)となっているのである。

 一方、高速道路ですらミッシングリンクだらけのわが国で、新設を止めたり廃止をしたりしてどうして雇用が保て経済が成長できると社説子は考えているのだろう。

 われわれは、世界のなかでもまったく希有な不思議な言語環境のなかに「漂流している」だけの存在のようだ。大勢の人が一杯書いたり、語ったりしているが、「それは具体的事実を踏まえているのか」とか「それは現実的に可能なのか」といったことに多くが無関心で、「それを示さなければ何の意味もない」ことに気付きもしない。

 この寒々とした言論空間のなかで「言葉が意味なく漂っている」状況は、われわれが「思考においてもただ漂流しているだけの存在」になっていることを示している。