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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

皇室報道と敬語

掲載日時:2015/08/03

国土政策研究所長 大石 久和

 以前から感じていたことだが、四月初旬の天白舌王后両陛下のパラオへのご訪問についての報道を読んで、朝日新聞は皇室報道に敬語を使わないことに改めて強い印象を持った。

 4月8日の夕刊で朝日新聞の用いた用語は概略次のようであった。

 「両陛下はパラオ共和国に向かった」

 「天皇陛下は、出発に先立ち(略)・・と述べた」

 「また、(略)・・と語った」

 「両陛下は、(略)・・に出席し、・・ と懇談する」

 「米軍の慰霊碑にも足を運ぶ」

 「(9日)夜に帰国する」

 このように朝日新聞は、両陛下の発言や行動についてまったく敬語を使っていない。

 これを比較するために、同じ日の日本経済新聞が用いた用語を示すと次の通りであった。

 「両陛下はパラオに向けて出発された」

 「戦没者を慰霊される」

 「9日夜に帰国される」

 この2紙を比較するとその違いは明らかである。2紙以外も含めて紹介すると、敬語を使わないのが他に毎日新聞、使っているのが読売新聞、産経新聞である。

 ところが、上記のような用語選択にもかかわらず、朝日新聞自身は「敬語を使っている」と言ったというのである。

 最近「弁護士・鈴木興治の日記」というプログを見つけた。彼は朝日新聞に「皇室報道になぜ敬語を使わないのですか?」と聞き、その顛末が「悪いが面白かった」と感じて、自身のプログにアップしたのである。

 2011年5月というかなり前のプログだから、現在は「皇室報道に敬語は使っていない」と言うのかも知れないが、この質問に対して、この時点では、朝日新聞は「国民感情に配慮して敬語は使っている」と回答したというのである。

 彼はこれに対して「驚くなかれ」と書き、「このプログを見ている人もびっくりする回答だろう」と記した。そこで「一切敬語は出てきませんよね。御社としては敬語を使うというスタンスでよろしいのですか?」と再質問したのだ。

 するとオペレーターは黙ってしまい、「ご意見でしたらそちらの部署におつなぎします」と言うのでつないでもらった。

 氏のブログによると《電話を替わったオペレーターの女性は、50代くらいだろうか。低く、身構えた、およそ「お客様の意見を聞く」とは言えないような強い口調で電話口に出た。明らかに敵対心を持っていた。電話とはいえ、口調によってその人がどのような感情を持っているかは意外とわかるものだ。皇室関係ということで、大方右翼の感情的な苦情と思い込んだのだろう。言質を取られまい、怒声や罵声には負けない、理不尽な抗議は断固はねつける。心に鎧を着込んだ彼女の姿、表情が頭に浮かんだ。》とある。

 氏は、「先ほどのオペレーターの方は敬語を使っていると返答されたが、御社としては皇室報道に敬語を使うという姿勢をとっていると理解していいのか」と聞いたのである。すると、彼女はこの質問には答えず、「あなたは一体何をおっしゃりたいのですか」と聞いてきたというのである。

 氏は朝日新聞OBらしいのだが、「お客様相手に商売をしている会社のオペレーターとしてあり得ない態度だった」と書いている。

 ここでまったく話題が変わるが、イギリス王室に王位継承権をもつ女子が生まれ、世界中から祝意が表されている。イギリスにも、わが国と「同じように」長く続く王室が存在しているが、そのあり様はわが国の皇室と「同じように」というありかたではない。

 実にいろんな国の王室がイギリスにやってきては王となっていったのである。小谷野敦氏の『日本人のための世界史入門』(新潮新書)によると、次のようである。

 《イングランドは1016年デーン人がデンマーク王兼イングランド王となったが、1066年にはノルマンディーのウィリァム王が征服。その後イングランドとフランスにまたがる王国ができたりした後、イングランド王を継いだのは、次々と海外からやってきた王家であった。フランスのアンジュー家、フランスのチューダー家、スコットランドのスチュワート家、オランダのオランシェ公、ドイツのハノーヴァー家と外国人国王が続いて、今日に至っている。》

 これでは、日本のように「万世一系」を統治論理にできるわけがない。イギリスにしてもフランス、アメリカなども「革命や独立戦争」を経て、「今日の国家になった」のだが、日本では歴史の初めから「今日につながる国家だった」のだ。

 したがって、わが国には革命宣言もなければ独立宣言もない。われわれは、如何なる理念のもとに何のために1つの国家を形成しているのかについて、明文化された宣言をまったく持たないという世界でも希有とも言える「不思議の国」なのである。

 それが何とか1つの集合体・有機体を構成できているのは、統合の象徴としての天皇・皇室の存在が大きく効いているからである。紀元前660年から連綿と続く一系の皇統の存在が「いままでも存在してきたからこそ今後も存在し続ける」という「存続信仰」の大本となり、それが国家理念となっているのである。これがなければ、統一理念もなく束ねる論理も持たない「単なる多人数の集団」になってしまう懸念がある。

 日本人であるというアイデンティティを捨ててグローバルに生きる国際人になれるわけなど論理的にもないのだが、この反対を解く向きも多い。皇室報道に敬語が必要なのは、日本人の過去と未来についてのわれわれの誇りと決意の表現様式になるからである。