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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

「地上の楽園」の警告

掲載日時:2015/04/10
月刊誌『新潮45』の2014年5月号に「地獄の淵へ追いやった9万人に懺悔する」と題した北朝鮮帰国事業の事務局長だった小島晴則氏の手記が掲載された。この帰国事業は、1959(昭和34)年12月から始まり1984(昭和59)年まで続いた。155次にわたって北朝鮮に送られた人は8万8611人に及んだという。彼はこの帰国事業に協力してきたことを反省して手記を著わした。

 日本がまだ戦後の貧困から脱し切れていない時代に、北朝鮮は「地上の楽園」と宣伝され、多くの在日朝鮮人やその日本人妻がそれを信じて半島に渡っていった。

 社会主義へのあこがれの気分を背景にして、「失業者はいないし、資本家がいないので搾取もないし、病気で入院してもタダだし、学校も無料で本や洋服も無料で支給される」などと、どう考えてもあり得るはずのない夢物語が、まことしやかに数多く報告されたのだった。加えて、「非行少年はいない」「税金がない」「物価が安い」とも喧伝された。

 当時の社会党の使節団の訪朝記には、「おそらく七年計画が終わる1967年には世界の人たちが驚くほど立派な国家がアジアの一画に誕生することは、いまや誰も疑うものはありますまい」とあった。この国はいまでも世界の最貧国なのだが、当時は(今もよくあることだが)このような証明や証拠もない根拠なしの論説が盛んに流れていた。

 当時のメディアは、ほとんど煽るようにこの帰国事業を賛美した。新聞には大活字で「地上の楽園」という文字が躍っていた。大メディアのある記者が北朝鮮に渡って現地の印象記を書いたが、そこには「彼らの目は輝いていた」とあった。

 しかし、この記者は一体何を見てきたのだろう。この事業で北朝鮮に渡ったものの貧困と差別にたえかねて脱北してきた日本人女性は何人もいる。そのなかの一人は当時のことを思い出し、「船が港に近づくと、先に帰国して岸壁にいた人が上陸してはダメ」とサインを送っていたと語っていた。彼女も接岸直前に船から岸壁付近の様子を見て、上陸前にもかかわらず「来るべきではなかった」と直感したというのだ。

 しかし、記者にはそれが見えなかったし、感じもしなかったと言うのだから不思議を通り越している。行く前から書くことを決め、扇動する目的があったとしか考えられない。帰国事業の事務局長は懺悔したが、地上の楽園と煽り倒したメディア(特に一部の大メディアが強烈だった)は、反省の弁も繊悔の気持ちも表明していない。知らん顔を決め込んだままである。

 以前示したことがあるが何の根拠もなく「確信した」と書くように、事実の不提示は今も変わらないから、現在のメディアは当時のこのデタラメ主張を嗤えない。メディアの好きな「それが時代の流れである」という証明不可能な物言いには、よほどの注意が必要だ。

 開戦当時GDPが5倍もあり、自動車の生産台数が100倍だったアメリカとの戦争を煽ったのも大メディアだった。第一次大戦で近代戦は経済を含む総力戦の時代になっていたことがわかっていたというのに、無責任にも国民を煽りに煽ったのだった。

 戦後の講和にあたって、吉田茂首相が曲学阿世と指弾した南原繁東大総長らの全面講和を支持したのも大メディアだった。あのときの国際情勢のもとで全面講和にこだわっていたら占領状態はいつまでも続くことになったに違いない。やはり吉田の指摘通り、彼らは「時代におもねる学者たち」だったのだ。

 対米従属性の強い安保条約を改定して、新たな日米関係の樹立を目指した岸信介首相を徹底して攻撃したのも大メディアだった。日本の国内紛争にアメリカ軍の介入を認めるような条約をなぜ改定してはいけないのか不思議な話だった。

 このように見てくると、メディアは責任を取ったこともないし取ろうともしない。ということは、メディアの言説に左右されては「国を誤る」ということを意味している。「地上の楽園」報道に加えて、「慰安婦」の問題、「進出と侵略」の書き換え問題、「政権交代」への煽りなど、国民の品格や国の利益に悪影響を及ぼした事件は数限りない。

 郵政選挙で落選した元議員が、「郵政民営化は長年にわたるアメリカからの執拗な要求だった」ことを知り、なぜ報道しなかったのかとメディアに問うたところ、「報道に値しない」との返事が返ってきたという。これを知ると、メディアは「主権者が主権者責任を果たすために知っておかなければならないこと」は何だと考えているのか理解不能となる。この国には「報道責任」という言葉も、つまりは概念も存在しない。

 内田樹氏は、「街場のメディア論」で次のように言う。

ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった。
最終的にその責任を引き受ける個人を持たない言葉など発せられる必要などない。
記者が責任の明らかでない言説を反復しているうちに、マスコミ通念が形成される。こうなると、反対意見も反対意見があることすらも示さず、同じ報道を繰り返す。
 そして、「メディアの本当の危機」を次のように指摘する。

固有名と血の通った身体をもった個人の「どうしても言いたいこと」ではなく「誰でも言いそうなこと」だけを選択的に語っているうちに、そのようなものなら存在しなくなっても誰も困らないという平明な事実に人々は気付いてしまった。
 活字メディアは努力し頑張ってもらわないと、この国の文化が危ういと心底感じている。活字を読むことは考えることでもあるからだ。しかし、状況は相当に厳しい。

 現にNHKの国民生活時間調査には、次のような戦慄の数字がある。

 「新聞を読まない」という人の割合が、2005年から2010年というたった5年間で、10代では49.4%から57.1%(17.7)へ、20代では46.3%から52.7%(16.4)へ、30代では26.0%から37.9%(11.9)へと急増している。

 「読む」という男性も、この40年間で20代では88%減、30代で81%も減じている。この実態を打開するための革命的な挑戦がもう始まっていると信じたいのだが…。