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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

「それでもボクはやっていない」

掲載日時:2015/05/20
2007年公開の映画だからもうかなり前だが、この題名の周防正行監督の映画がヒットした。実際にやっていないのに痴漢冤罪に巻き込まれた主人公の苦しみを描いて多くの共感を得たのだった。

 わが国では被疑者の取り調べにおいて、いかに人権が軽視されているのかを描いたこの映画に多くの人が戦慄を覚えた。刑事事件の起訴有罪率が99.9%という信じがたい高率なのは、こうして保たれた数字なのかとも思い、また、誰でも犯人にされてしまうのではないかとの恐怖におののいた。

 現に、袴田事件、松本サリン事件、引野口事件、東電OL事件、菅谷事件(足利事件)、厚生労働省・村木事件など、最近も相次ぐ冤罪事件は遠い昔の話などではない。現在も進行中の生々しい「国家の犯罪」と言うべき冤罪事件が身近にあふれている。

 松本サリン事件の被害者である河野義行氏は、「冤罪を作るのは裁判官です。警察・検察は被告をクロと主張したに過ぎないわけです。(略)いくら警察・検察がクロだと言ってきても、犯罪の実行が立証されていなかったら無罪とする裁判官ばかりだったら冤罪なんか起こらないはずです」と述べているように、これは裁判の問題である。

 たとえば三鷹バス痴漢事件では、一審の地裁裁判長は「片手は携帯電話、もう一方の片手はつり革を持っていた犯人」が、「痴漢行為をすることは容易とは言えないが、不可能とか著しく困難とは言えない」として有罪判決を下した。

 「どうやればそんなことができるのか実証して見ろ」と言いたくなる判決だったが、高裁では無罪となった。無罪を勝ち取った冤罪被害者は、「無罪が証明できたから無罪だという判決はおかしい。有罪が立証できないから無罪だとする判決が出されるべきだ」と言うのだが、もっともな主張である。繰り返すが、このように冤罪は裁判の問題である。

 裁判批判がほとんどタブー視されている報道状況のなかで、早くから本格的な批判を加えたのは、井上薫元裁判官(現弁護士)だった(多くの先人がいると思うが、筆者はこれで学んだ)。彼の著書『司法のしゃべりすぎ』には驚いてしまった。判決理由には、書く必要もない「蛇足」が一杯書かれているというのである。

 判決理由は、判決の判断理由を書くためにあるのに、判決と無関係なことが書かれるケースが多く、下級審によくあるが、なんと最高裁判決にもあるという。

 一例を紹介すると、岩手県が靖国神社へ玉串料を支出したことが憲法の政教分離に違反し、この支出により県は損害を被ったから知事は賠償すべきと提訴された事件があった。過去にも毎年支出していたのだが、この年の支出がなぜか急に提訴された。

 盛岡地裁は、「部下による決裁だったので、知事は自ら処理しない事務については責任を問われない」として訴えを棄却した。ところが、これを不服として上訴され、仙台高裁は、「知事は支出権限を本来的に有するから、現実に関与していなくても被告となり得る」とまず知事の被告適格を認めた。

 そのうえで、「実際に決裁した課長に対する指揮監督上の知事の過失があれば知事個人が賠償責任を負うが、本件にはそれがない」として請求を棄却したのである。ところがなんということか、本裁判の結論部分はここなのに、裁判官は判決理由に「この支出は憲法違反である」と書いたのだ。

 本裁判の最終判断に何の関係もないのだから書く必要もない事柄が判決理由に書かれてしまったのである。メディアは「玉串出費は憲法違反判決」と報道したけれども、憲法違反判断は判決に何の効力も及ぼしていないから、これを報道するのはおかしいのだ。

 「憲法違反は受け入れられない」と岩手県知事が思ったとしても、裁判自体は勝訴しているのだから上訴はできない。意味のない感想文のような「憲法違反判断」がそのまま残ってしまうのだが、井上氏はこれを「蛇足判決」として批判するのである。

 「判決には理由を付さなければならない」と訴訟法にあり、判決理由とは「主文を導く法理論的過程」を書くところなのに、その過程と何の関係もないことが書かれているのである。彼は、このような例は、ロス疑惑、岩国靖国訴訟など多くの判決に見られるという。

 井上氏は、その後も『狂った裁判官』『裁判所が道徳を破棄する』『裁判官の横着』など数多い裁判批判を出版している。

 最近では、瀬木比呂志元裁判官(現大学教授)が、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(この帯には「明日はあなたも殺人犯」とある)を上梓した。彼はこのなかで、事務総局に支配された裁判所の実態を紹介し、「現在の裁判所は一種の柔構造全体主義体制、日本列島に点々と散らばる"精神的な収容所群島"となっている」というのである。

 氏は、「(人事に影響するのは)『ともかく事務総局の気に入らない判決』ということなのだから、裁判官たちは、常に、ヒラメのようにそちらの方向ばかりをうかがいながら裁判するということになる。当然のことながら、結論の適正さや当事者の権利などは二の次になる」と指摘するのだ。

 裁判官を何十年もやってきた人による裁判所の実態についての指摘は、とんでもなく厳しく重いものだと言わなければならない。

 また瀬木氏は、「日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の1つに、『法などの明確な規範によってしてはならないこと』の内側に、『してもかまわないことになっているものの、本当はしないほうがよいこと』の見えないラインが引かれていることがあると思われる」と言うが、なるほどと思わせる残念な社会の実相である。

 わが国は社会の各部に弥縫策では直しようのない大きな歪みが生じている観があるが、リセット主義は混乱を拡大する。制度の根幹からコツコツ直していくしかない。