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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

インタビューと文章

掲載日時:2015/06/05
 「スポーツ選手への『予定調和のインタビュー』が気に食わん」と題する芥川賞作家・田中愼弥氏の寄稿が週刊新潮2014年11月6日号に載っていた。アナウンサーは「なぜこの程度の質問しかできないのか」と苦言を呈しているのである。

 敗北後の選手に「試合終了の笛をどんな気持ちで聞いていましたか」に対しては、なぜ笛をクッションに使わないといけないのかと言い、ストレートに敗北を聞かない不思議さに疑問を呈している。

 優勝の可能性のあるチームの野球選手に「ビールかけ、やってみたいですか」と聞くばかばかしさを指摘する。これは「あなたは優勝したいですか」と聞いているのだから、その馬鹿さ加減がわかろうというものだ。優勝したくない選手など即刻クビに違いない。

 「いまの喜びを誰に伝えたいですか」とか「いま一番何がしたいですか」や、「最後にファンの皆様にひと言お願いします」などといったレベルの質問でスポーツ報道が成立するとはどういうことかと嘆くのである。田中氏の言う通り、聞く側が何も考えなくても、何かを聞けばインタビューになると勘違いしている例ばかりと言ってもいい状況だ。

 インタビューといえば、あまりのひどさにひっくり返りそうになった事例がある。阪神淡路大震災の時や東日本大震災という大惨事の際にも、日本人は列を乱すことなく整然と並んで救援物資を受け取り、略奪に走ることもなかった(こそ泥的な盗みはいくつもあったのは残念なのだが)。これを全世界の人たちが驚異の目で眺めたのである。

 これに対して、あるテレビのインタビュアーがメディア的に有名な精神科医に、「なぜ日本人はこんなに整然と並ぶことができるのでしょうか」と聞いたのだ。するとその医師は、「それは日本人に横並びの意識が強いから」と答え、驚いたことに再質問もないままこれでインタビューが終わってしまったのである。

 「横並びの意識が強いとなぜ整然とした列になるのか」がまず疑問だ。そして、もしこの医師の言う通りだとしても、世界中の人々が驚嘆の声を上げるほどの「他国にはない強力な横並び意識」は、なぜ日本人だけが持っているのかという疑問が続く。

 インタビュアーの頭脳がほんの少しでも回転していたのなら、少なくとも以上の2つの疑問は質問としてすぐに出せたはずだし、視聴者のためにも出すべきだったのだ。けれども、このインタビュアーは何も考えずに聞いていたからこんなことになったのだ。

 すぐに聞くべき再質問もなかったから、せっかくのインタビューがまるで深まらず、つまらないものになってしまった。何かを期待していた視聴者はがっかりしたことだろう。テレビはとうの昔に死んでいるのだが、それを証明する事件だった。

 この国から言葉が消えていることは何度か述べてきたが、それは政治や官僚の世界だけではない。このように、この国のありとあらゆる分野から言葉が消滅しつつある。言葉が消えることは、当然のことながら「思考や思索」が消えていることであるから、実に恐ろしいことなのだ。

 最近、女子高校生が1日に7時間もスマホをにらんでいるという信じ難い調査結果が報道された。このことは、彼女たちが1日中何も考えていないことを示している。140文字の世界なら、感覚・感情の言葉で埋め尽くしても完成するだろうが、1000字や2000字になるとそうはいかない。

 コアとなる思考がなければ、この程度の文字数でも「一応文章と言えるもの」にはならない。この分量の文章を書かないと何かを考えたことにはならないが、問題は高校生に留まらない。若手の官僚や学者ですら、ある程度のまとまった文章が書けなくなっているという話を最近よく聞く。思考ができない学者など漫画にもならない話だ。

 これは官僚や学者でも「ある概念に到達するような深い思考」ができなくなっているということなのだ。そして、「思考とは自らが作成した文章そのものである」ことがわからなくなっているのだが、その証拠が学生などに蔓延するコピペ問題である。

 例の理化学研究所の細胞問題で最も衝撃的だったのは、主人公の女史の論文にコピペがあるとの指摘に対して、彼女が「それはいけないことなのですか」という反応を示したことだった。この瞬間に彼女は本物ではないと直感した。

 思考を文章にまとめることに1度でも坤吟したことがある人なら、コピペがいかに犯罪的な行為か簡単に理解できるだろう。コピペで人の文章を盗むと言うことは、人の思考を盗んでいるのに知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるということなのだ。

 この国から人が減り、地域が消滅するのではないかと騒ぎになっている。やっと人口減少にからむ議論が活発になってきたのは結構なことである。生産年齢人口は、1995年にピークアウトしたのだが、当時、これは国土計画上の大問題だと訴えても関心を示す人はほとんどいなかった。この時は総人口はまだ増えていたからである。

 人口は一国の経済力や国力の最も基本となるものである。その人口が減少するのであるから、国の経済力を維持するためには一人あたりの生産性が向上しなければならない。

 そこで先進各国は、その大本となる社会を下から支える基礎構造であるインフラストラクチャーの整備に、財政の苦しいなかでも遇進している。わが国だけが、インフラ投資も削って生産性の向上を阻み、生産年齢人口も減るのに支えなければならない高齢人口が急増するのでは、すでに兆候があるように衰退の一途をたどることになる。

 今回提起した問題は「人の数が減るのなら1人1人の能力が向上しなければならない」のに、先に見てきたように実態はその逆になっているということだ。社会を支えるためには能力のある人間が数多く必要だが、考える力のない人間がすでに増えているし、今後はさらに増える予兆が「スマホ7時間」に見るようにあちこちに存在している。

 田中氏の指摘するインタビューの貧困は亡国の兆しに違いない。