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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

個人が持つユニーク番号

掲載日時:2014/02/07
 長い年月をかけて議論されてきた個人番号制度(マイナンバー)に関する法的な準備がやっと整った。今から30年も前にマル優制度の悪用に対して名寄せが簡単にできるようにと、「グリーンカード」という名称で個人番号制度が導入されようとした。

 このときは、「個人のプライバシー」が裸にされるという理由で大反対の声が噴出して実現できなかった。ここで個人番号制度を導入しておけば、後年大問題となった「失われた年金問題」のかなりの部分が生じなかったものと考える。

 友人の一人は職場を何度か変えたため複数の基礎年金番号を持っていた。これを今回の騒動の際に、期間の算入漏れがないかとチェックしてもらったところ、やはり掛け金を払っていたのに算入されていなかった期間が発見された。

 個人を特定できる唯一の番号を国民が持っていれば防ぐことができた問題であった。莫大な費用をかけて年金の回復作業が行われているが、「プライバシーが犯されるかもしれない懸念がある」というだけで葬り去られた個人番号制度の代償としては、あまりに高価な結果となっていると嘆かざるを得ない。

 個人番号を漏らしたり、悪用に手を貸したりする関係者がいれば厳罰に処する制度を入れておけばいいではないか、それでも導入する価値の方が大きいのではないか。たとえば、これらの犯罪には執行猶予なしの5年以上の実刑が原則という条項を法のなかに入れておけば、悪用の誘惑に乗る人など出ないのではないかと考えたものだった。

 さて、今回マイナンバーが導入され、これの悪用に対してどの程度の罰則が用意されたかを調べてみると、なんと4年以下の懲役、または(及び)200万円以下の罰金だというのである。悪用が心配だとして30年も先送りされてきた法律の、その悪用の罰則がこの程度なのだ。プライバシーがあらわになるなどという心配を本当にしていたのかと思わざるを得ないような微罪規定であることに驚きを禁じ得ない。

 ところで、映画の本編上映の前には必ず「盗み撮りには厳罰が科せられます、絶対にしないでください」というメッセージが上映される。ここで紹介される罰則は、10年以下の懲役、または(及びもある)1,000万円以下の罰金だというのだ。

 映画の盗み撮りは微罪でよいなどといっているのではない。これに比べて、悪用の懸念を言い立てて遅れに遅れてきた個人番号制度の悪用についての罰則が、あまりに軽すぎるというのだ。この程度の罰則の規定で済むような犯罪を心配して、基本インフラとしての個人番号制度導入を先送りして、現実にも大国損となるような事態を招いてしまったのかと不思議でならないのである。

 プライバシーへの懸念を言い立てて個人番号制度を葬ってきたマスメディアも、今回は反対キャンペーンは打たないし、罰則規定が甘いともまったく言わないのだ。「年金が失われてもいいのか」との反論を恐れて何も言わないのだ。メディアとは責任をとらずに言説を労するものなのだとつくづく実感する。

 ところで、議論はまったく異なるが、個人番号制度問題の最もはじめの頃の議論が、優遇税制からの抜け道防止策として組み立てられたということは大きな問題だと考える。国民のすべてにユニーク番号を振る意味のとらえ方があまりにも狭いのだ。個人番号導入による国民生活一般への影響をアセスメントしていないのである。

 これは明治5年の地租の導入に関して税の確保という視点を超えた議論がなく、その影響を広範に把握する努力を怠ったのとまったく同じ構図だ。日本国の土地に関する税は、始めから土地の利用者に対して年貢という土地の生産性にかかるものとして存在してきた。そのことが、われわれの土地の所有や利用についての感覚を規定してきたのである。

 その長い歴史があったにもかかわらず地租の確保を最優先するために、土地の所有者に対して、その土地の交換価値に対して徴税するというコペルニクス的大転換をしたのである。こうして土地は利用するものから所有するものという所有意識の大変革が行われ、意識の変化はあらゆる所有物に及び、ついにわが国では「所有絶対」という感覚まで生んだ。

 それは、「私が買ったゴッホの絵は私が死んだらともに焼いてほしい」という大会社の会長のとんでもない勘違いにまでつながり、ヨーロッパから大非難を浴びることになった。これが日本で騒ぎにならなかったのは、われわれがこの会長と同じく所有権絶対感覚を持っているのに対して、彼らの「名画所有権観念」が、「確実に次世代に渡す間、適切に保管して手元に置くことができる権利」程度のものだからである。

 きわめて広い裾野に莫大な影響を与える可能性があったこの大改革が、税の取り方というレベルの議論から発し、それで閉じているところが何とも情けないわれわれ日本人の実態なのである。そのことが、何にどのように影響するのかのアセスメント検討がまるで不十分なのである。この個人番号制度の議論も明治の初めと何ら変わるところがない「浅慮の範囲」であることが残念の極みなのだ。

 個人情報保護法についても同様の指摘ができる。「高度情報通信社会の進展に伴い個人情報の利用が著しく拡大していることにかんがみ」とあるのだが、この法律があるために、今回の東日本大震災に際して民生委員による生存確認などの活動が制約されたという事態が生じた。学校でもクラスの名簿が作れなくて困っているとか、ツアーなどにおいて、旅行社側からは当該旅行の参加者を照会できないという漫画的な状況も生まれている。

 現実に目の前にいる人の名前を明らかにすることが秘すべき個人情報だというのなら、「裸の王様」という話に負けないほどの噴飯物だと言わなければならない。

 一次元な議論に終始して、二・三次元思考に深まらないまま議論が終焉する「知の欠如」とでも言うべき状況の頻発は、われわれの思考レベルを反映している。