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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

テレビの「顔小窓」

掲載日時:2014/06/03
 最近テレビでは、画面の中に小窓を設け、番組に参加しているタレントやアナウンサーの顔をその小窓に映しながら放送する事例が増えていると述べたことがある。民放の番組から始まったが、いまではNHKも多用している。

 討論や対談の番組では、ある人の主張に対して相手方などの参加者がどのように反応しながら聞いているのかを映すことは視聴者にとって意味がある。「突っ込まれて困っているぞ」とか、「ここは彼も同意しているのだ」といった情報を「顔小窓」の表情から得ることができるからである。これによって視聴者はより深く議論を聞くことができる。

 しかし、この「顔小窓」を用いている多くの番組はそうではないのだ。出演者があまり意味のない感想を述べたり、わめいたりしているのに対して、同席の他者がどのような顔をしてそれを聞いているのかを漫然と示しているだけなのがほとんどである。

 この制作方式は、意図しているのかどうか不明だが「反応の強要」とでも言うべきものだ。「テレビによく出る有名タレントが、この事件についてこのように憤慨しながら聞いている」様子を小窓に映す意味は、「だから、あなたも憤慨してもいいのですよ」ということなのである。テレビによく出る人は有能で価値ある人という正しいともいえない思い込みも前提として利用されている。

 ここでは「あの有名人も怒っている」のだから、「あなたも怒るのは当然」ということを伝えたいのである。これは、視聴者が自分の経験と感性を用いて判断することを否定する姿勢である。事実をできるだけ正確に客観的に伝えて「自分で判断させよう」とする考え方が小窓を多用する制作者になく、人の判断を伝えているのだ。

 反応の強要は、「感情の強要」であり「判断の強要」である。「こう思え」「こう考えよ」「こう判断せよ」と言っているのだが、残念なことにそれに委ねることに不思議や違和感を感じない視聴者が多いのだ。「だってあの人も怒っている」のだから「私が怒ってなぜ悪い」となっている。

 これは、あってはならない判断停止の要求である。なぜなら視聴者のほとんどは選挙の投票に参加すべき主権者であるからで、主権者は自由な判断を下さなければならないからである。ある大学教授から聞いた話だが、彼がある大新聞の幹部に「新聞の役割は主権者が正しい判断することができるように情報を届けることですね」と言ったら、「主権者を正しく導くことだ」と言われて唖然としたことがあるという。

 これでは、メディアが信じることを「刷り込んで、反対できないムード」を作るためにメディアが存在していることになる。これは、全体主義の勧めであり、多様性原理の否定というべきものだ。根拠となる正確なデータを十分に示さない報道が多いのもこのためなのかと納得してしまうのである。

 以下は東洋経済2014.3.8号の記事である。

 「景気対策のために講じられた財政政策は、明らかに実効性があるものとは言いがたかった。そして、政府債務対GDP比は、1997年の102%から2013年の227%へと倍増したのである」

 「そして」とあるから、素直な読み方は、「講じられた財政政策のために政府債務が増大してGDP比が倍増した」というものだろう。この文脈の立て方からは、この記事の書き手はそう読まれることを期待して書いているに違いない。

 しかし、それは事実ではない。財政政策の典型とされる公共事業支出の原資は、今ではすべて建設国債となっている。その発行残高は、1997年の175兆円から2013年には259兆円と増えているが、赤字公債ともいわれる特例公債は、同じ期間に83兆円から484兆円にと6倍近くにも伸びているのである。

 特例公債から財政出動といわれるような支出はなされない。この事実を踏まえると先述の文章で「そして」とつなぐことは「間違いだ」と言わざるを得ない。なぜ、102%から227%になった根拠となる数字を示さないのだろう。

 一部に数字を使っていかにも客観的なポーズを意図したものと断ぜざるを得ない。従って、先の文章に続いて書かれた「当然、これ以上政府債務の負荷をかけないようにするには、財政政策を景気対策に多用することは禁物である」という主張は成立しない。政府債務に負担をかけているのは、高齢化に伴って急増している社会保障費をまかなうための特例公債が大半だからである。そして特例公債は景気対策のための財政出動の原資とはならないからである。

 今年の経済成長は、安倍政権による公共事業の拡大が寄与するところが大きいと報じられている。今は財政出動は経済成長させる効果を持つが、かつては「明らかに実効性はなかった」と断言できるのか、どうして検証できたのか不思議な話だ。

 この文に続いて、さらに意味不明の文が続き、「政府債務は、経済成長を財政政策以外の手段でも促しつつ、早期に税収を確保して…」とあるのだが、内需が落ち込んでデフレとなり、賃金の減少が続いていた状況の下で、どのような「財政政策以外の手段」を促すと税収が確保できるというのだろう。

 これはほんの一例であり、財政の状況認識について事実に反する奇妙な刷り込みが蔓延している。このため問題の本質をとらえた議論がさっぱり進まない。残念なことに、多角的な観点から、多様性に富んだ議論が主権者に紹介されない状況はこの問題に限らない。外交交渉においても、国際情勢においても事情はほとんど変わらない。そのため深みのある議論がさっぱり進まないのである。アンナ・ハーレントは、「多様性の否定こそが全体主義の悪なのだ」という意味のことを述べている。

 「顔小窓」の多用から「全体主義」とでもいうべき状況への誘導を感じるのである。