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技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

学者の署名運動

掲載日時:2014/11/07
 どの分野であれ、大学教授などの研究者はそれぞれが独立して存在しており、その独立性が研究の「独自性と全体としての多様性」を確保する原動力になっている。一色に染まって皆が同じ1つの学説だけを信奉するのなら、何人もの教授が各大学などに分散している必要などありはしない。

 ところが、経済学者が1つの主張にまとまり、それへの賛同を乞う「署名運動」が展開されたのである。それが、2011年5月23日「日本経済新聞の経済教室《震災復興政策〜経済学者が共同提言》」として掲載されたのである。

 この提言は、東日本大震災の直後である5月に、伊藤隆敏・東大教授と伊藤元重・東大教授が主導した学者有志の提言ということになっている。提言者や賛同者はネットに公開されているが、なんと110名を超える学者が、一部には留保条件をつけながらも、名前の公開に賛同するレベルで提言内容に同意し参加しているのである。

 東京大学・一橋大学・慶応大学の教授たちが主導し、共同提言への賛同を全国の経済の教授連中に求めるというのは、どう説明しようとこれは「署名運動」と言わなければならない。署名運動とは、《特定の問題に対し多数の署名を集めることで理解を広め、またその決着の方向に影響を与えようとする運動》(大辞林)である。

 これは理解を広めるための共同提言であって署名活動ではないと言うのなら、なぜ110名を超える連署が必要なのかが説明されなければならないが、そもそも全国の大学などに回状を回すこと自体が署名活動意識そのものなのだから、抗弁にもなりはしない。

 労働組合や職員団体であれば、強力な経営陣に対抗するため、多くの労働者の賛同署名を背景とした交渉が欠かせないと言うこともあるだろう。しかし、学者が学説の正当性ではなく、数の力で「特定の問題の決着の方向に影響を与えようとする」のであるから、これはもう学者の行動と言えるものではない。

 その主張は、京都大学の藤井聡教授によれば、「自由化」と「緊縮財政」の推進が中心をなしている。したがって、この提言では「現世代で起こった災害には、現世代が復旧費を負担すべき」とあり、復興増税を要求しており、後の増税の根拠にもなった。

 しかし、国債の発行が後世への負担回しかどうかについては、大阪大学の小野善康教授や早稲田大学の野口悠紀夫教授などの異論がある。さらに内需が縮んでいるデフレ経済のもとで(提言はデフレ最中の2011年になされている)、国民から現金を吸い上げる政策が、消費に悪影響を与え経済成長を低下させないわけがない。

 経済のとらえ方、見方についてはいろいろな考え方がある。1つの仮説・学説にはまとめきれないものなのだ。それを、政治は結果責任を負いながら苦心しつつ選択するのである。結果責任の負いようもない学者が、数で政治に圧力をかけるなどあり得ない話だ。

 主流派経済学の《自由主義・市場主義》が抱える問題点は、かねてより、ポール・クルーグマンやジョゼフ・スティグリッツらによって指摘されてきた。競争は、賭け事ではあるまいし、より能力のあるものが「常に勝つ」のは当たり前で、したがって富の集中は、この経済学の必然的結末だ。

 これでは非難を浴びるのは必定だから、実証もできていない「トリクルダウン」とかという怪しげな説をこの主流派の連中は考えたのだ。それは《競争に勝った者が得た富は、彼らがそれを使うことで、水がしたたり落ちるように、常に負けてしまう人にも行き渡る》と言うものである。

 しかし、その本家のアメリカの現実が「1%対99%」というデモが起こるくらいに、富の過半がわずか1%の富裕層に蓄積されたままというのだから、「したたり落ちる」現象などはまったく生じてはいない。仮説は現実によって否定されたのである。トマ・ピケティは、これを実証的に研究し「21世紀の資本主義」で富の偏在を証明した。

 投資や投機、消費など経済を動かしているのは人間である。「すべての知識を有して合理的に行動する」という仮想人間を想定して理論を作り出しても、説明力には大きな限界がある。

 それは、人間の認知力について過謬性と再帰性を指摘したジョージ・ソロスの言う通りだ。人間の社会に対する認識は、必ず部分的でかつ歪んでいると、ソロスは説く。万能の神でもない限り、全体をくまなく把握することなど誰にもできないし、自分に見えている世界も自分の経験や考えを通じて見ているのだから、必ず歪んでいる。人は目でものを見てなどいない。脳で見ているのだ。

 その歪んだ認識者が参加するマーケットは、その歪みが情報把握にひずみをもたらすから必ず判断の誤りを犯す。よって必然的にバブルも起こるし暴落も生ずるのだ。

 だからこそ、人間の経済行動の説明には、多くの仮説、学説が存在しうるのである。にもかかわらず、《1つの説明への署名運動》をやろうというのだから、物事の本質の根幹についての理解を欠いている。

 あくまで一般論だが、学者は受験戦争の勝利者である。受験に打ち勝つために、受験に直接役立たないものへの興味や関心を押さえ込むことに成功した人々である。中学・高校時代に、哲学や芸術・文学などにのめり込むことをうまく避けてきた人々である。

 そして、その受験戦争とは、「必ず正解がある」問題に対して「他の人より、より多く、より早く正解にたどり着く」ことだったのである。「人より早く多く覚えて、人より早く多く思い出した人」が、受験戦争の勝利者となるのである。

 経済政策は政治そのものであり、「政治にたずさわる者は、人間の本質について深い知識を持たなければならない」(エドマンド・バーク)が、これを学んでなんかきていないのだ。

 20年間まったく成長しなかったわが国の経済は、日本経済学の敗北の象徴である。