• JICEについて
  • 調査報告・研究成果
  • 助成・表彰・審査制度
  • 技術資料・ソフトウェア
  • 国土を知る

技術資料・ソフトウェア / JICEの部屋(コラム)

憲法の比較

掲載日時:2015/02/05

 わが国の憲法の有り様についての議論が、やっとまともに取り上げられるようになってきた。とはいうものの、いまだにこの憲法を「平和憲法」と断じて、一切の改正議論を封じ込めたいとする人々も少なからず存在している。

 戦後初期に制定された日本国憲法は、その後一度も改正されず、さわるべからずの「不磨の大典」と化している。ところが、メディアはあまり取り上げることがないが、海外ではかなり頻繁に改正されている。

 国立国会図書館・憲法課によると、1945年から2014年3月までの間に、各国は次のように憲法を改正してきている。

■アメリカ 6回
■カナダ 17回(1876年憲法)
2回(1982年憲法)
■フランス 27回(新憲法制定を含む)
■ドイツ 59回
■イタリア 15回
■オーストラリア 5回
■中華人民共和国 9回(新憲法制定を含む)
■韓国 9回(新憲法制定を含む)

 これを見ると、戦後一度も改正していないことがいかに異常なことかよくわかる。アメリカでは、大統領の三選禁止、大統領職の継承及び代行、選挙権年齢の満18歳への引き下げ、などが改正されたし、カナダでは、上院議員の定年制の導入が旧憲法で導入され、新憲法では先住民の権利などが制定された。

 フランスでは、戒厳令規定が追加されたし、ドイツでは、男女同権の促進規定が加えられたりした。イタリアでは、議員の不訴追特権の廃止や不逮捕特権の縮減、男女平等の促進などの改正があった。

 オーストラリアでも先住民に対する差別的規定が廃止されたし、中国では土地使用権の譲渡や私営経済が認知されたりしている。韓国では大統領の直接選挙制が新たに規定されたし、国会議員の兼職禁止規定も緩和された。

 各国が憲法で規定している内容もレベルも異なるために、同列、かつ一律に論ずることはできない。しかし、日本以外の国々では根幹法規を変更しなければならないほどの時代の変化があると認識して対応してきたが、日本だけは基本法規に改正すべき欠陥はなく、基本法を変えなければならないほどの社会の変化がなかったと言っているのである。

 われわれ日本だけが時代の価値観の変化の外に立っていることができると考えるのは、実に奇妙なことといわなければならない。たとえば各国は、男女の同権性を強調したり、女性の権利の伸長を新たに書き込んだりしているが、わが国はそのような必要がないほどに女性の権利は守られているのだろうか。

 たとえば、民法はいまだに離婚女性の再婚に際し6か月もの禁止期間を定めており、DNA検査時代だというのに時代錯誤な「女性の再婚権」が剥奪されている。科学の進歩を前提としないこの条項が違反となる憲法規定が必要だとなぜならないのか。

 ところでまったくテーマが異なるが、平和条項についてである。イタリア憲法には次のような同様の規定があるが、他国の憲法と比較したうえでわが憲法のあり方を顧みることがほとんど無いためこの事実も知られていない。

◇イタリア共和国憲法 第11条
 「イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段としての、および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、他国と同等の条件で、諸国家間の平和と正義を保障する機構に必要な主権の制限に同意し、この目的のための国際組織を促進し、かつ助成する。」

 戦力の不保持や交戦権の否定は明示していないが、この憲法も明確に「戦争放棄」を規定している。したがって、この憲法も「平和憲法」である。

 同じ敗戦国のドイツは、ドイツ連邦共和国基本法という名称の憲法を持っている。ここでは、ドイツの軍機能が発動するためには「連邦領域が武力で攻撃された、またはこのような攻撃が直接に切迫していること(防衛事態という)」を条件にしている。

 このドイツ基本法で紹介したいのは、第14条(財産権、相続権、公用収用)である。

 「1.財産権および相続権は、これを保障する。内容および制限は、法律で定める。2.財産権は、義務をともなう。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきものでなければならない。3.(略)」

 この第2項がいまの日本人の権利意識とは著しく異なる。江戸時代には「所有概念」を欠いていた日本人は、現在では「我執」と批判されてもおかしくないほどの絶対的所有観を持つ。これが所有観から分離した「利用権」の確立を阻害しており、社会の各部に悪影響を与えている。

 ドイツ基本法はフリーハンドな財産権など存在せず、公共の福祉に寄与しない財産権の行使は認めないというのだ。だから、ゴッホ絵画の所有権を得るということは、「良好に管理して次代に引き継ぐまでの間、手元に置くことができる権利」を得たに過ぎないのであって、日本の某大会社会長のように「(私が死んだら)私と一緒に焼いてくれ」などいえる感覚そのものが西欧にはないのである。

 この会長発言に対する批判の第一波はヨーロッパからやってきた。日本でこれが問題発言とされ始めたのは、ヨーロッパで騒ぎになっていることが報道されてからなのだ。

 このように概観するだけでも、日本国憲法を議論するなら、他国の憲法の改正の様子や内容についての一定の知識が必要なことがわかるはずなのだ。